有名なキリスト教伝道師の山根キクは、日本にモーセが来たと言う竹内文献の記載より、石川県三ツ子塚古墳をモーセの墓と断定しました。
有名なキリスト教伝道師の山根キクは、日本にモーセが来たと言う竹内文献の記載より、石川県三ツ子塚古墳をモーセの墓と断定しました。 もともと、三ツ子塚にモーセ伝説はありませんでしたが、キリスト教といさかいを起こしてもしかたがないので、そこを「モーセパーク」という公園にしました。 いかに、キリスト教信者の要望が多かったかということが伺えます。 ところで、三ツ子塚古墳は、本当は、誰の墓なのですか? キリスト教信者の回答はいりません。 モーセの墓なのでしょう。 質問を繰り返します。 三ツ子塚古墳は、本当は、誰の墓なのですか?
ベストアンサー
古墳発掘の現地説明会の質問コーナーで地元の人から「誰の墓か?」という質問がよくある。答えは「残念ながらわからない」で「地元の有力者(または首長)の墓」となる。 理由は、古墳の築造された時代の史料がない。同時代の史料としては、3世紀末に書かれた魏志倭人伝、5世紀末に書かれた宋書などがあるが、卑弥呼の邪馬台国、倭の五王についての記述があるが東国の古墳の被葬者に繋がる情報はない。好太王碑(広開土王碑)も同様。日本の史料としては、8世紀に完成した日本書紀、古事記がある(古事記の編纂時期は序文によるが異論もある)。また、8世紀に編纂された風土記のうち、出雲、播磨、肥前、常陸、豊後の国の風土記(の一部)が現存する。これらから東国の古墳の被葬者を同定することは難しい。当時の日本の中心地域であれば、継体天皇の真の御陵とされる今城塚古墳など、史料と考古学の研究から同定できる例もある。 もう一つの理由が、日本の古墳には墓誌がないこと。墓誌は被葬者の事績などを石や金属板などに記したもの。日本で副葬された墓誌は7世紀末から8世紀末の18例ほど。埼玉県行田市のさきたま古墳群の稲荷山古墳からは金錯銘鉄剣が出土して、115文字の金象嵌から、「獲加多支鹵大王の寺、斯鬼宮に在る時に杖刀人の首を奉事する乎獲居の臣がこの百錬の利刀を作らしめた」とされるが、この古墳の被葬者が乎獲居の臣と断定することはできない。(抜粋) つまり、日本の古墳はほとんどが誰の墓かはわからない。まして無名な古墓は全くわからない。
詳しい説明ありがとうございます。 「モーセの墓じゃないなら誰の墓だ?」と聞かれても「わからない」となるわけですね。 昔の人も、大勢の人を使って古墳を作っても、結局は、誰の墓かわからなくなってしまうとは? 信仰上の理由があるのでしょうね。
質問者からのお礼コメント
丁寧な回答ありがとうございます。
お礼日時:5/26 2:57