【再質問】 戦国時代の堺が、鉄砲の産地になったのは「今井宗久」に、 先見の明があったからですか? □ <これが分かりません> 鋳物師を集めて、安物の鉄砲を量産したのでしょうか?
【再質問】 戦国時代の堺が、鉄砲の産地になったのは「今井宗久」に、 先見の明があったからですか? □ <これが分かりません> 鋳物師を集めて、安物の鉄砲を量産したのでしょうか? それ以前に、鉄砲は作られていなかったのでしょうか? □ <関西・大阪21世紀協会のサイト> こんなに知らなかった!なにわ大坂をつくった100人 第3話: 今井宗久「日本で最初の武器商人」 □ 堺の豪商であり茶人。永正17年(1520)生まれ。青年時代、大和国の 本願寺の寺内町今井で商売を始めたと伝えられるが定かではない。立身 出世を志し、南蛮貿易で活気溢れる堺へ出て納屋宗次宅に身を寄せ、商 人として修業を重ねる。このとき、商人としての教養を身に付けるため、 豪商で茶人の武野紹鷗に茶の湯を学ぶ。同門に津田宗及や千利休もいた が、宗久は紹鷗に気に入られ娘婿になる。やがて納屋宗次から独立し薬 種業を始める。 □ 機を見るに敏な宗久は、鉄砲の時代を予測した。天文17年(1548)、 火薬の原料(硝石)を独占的に買い占め、同21年(1552)には河内鋳 物師を集めて鉄砲の生産に乗り出す。高性能の火縄銃を生産して戦国武 将の注目を集める一方、茶会を通じて武将や堺の豪商たちとの人脈を広 め、会合衆(えごうしゅう)の仲間入りを果たす。 ↑■鋳物師を集めたとありますが、鉄砲は鍛冶職人が作ったのでは? <今井宗久>
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ベストアンサー
ご質問にお応えする能力はありません。が一言。分かりやすい説明のご質問で勉強になりますし、質問者様は嫌われてはいないと思います。
1250187086さんの命名です 私の回答文) 1604年、マニラからのスペイン船が、堺に寄港していた という記述をこの論文で見つけました。 1250187086の返答文) どこにポルトガルのガレー船が入港したと書いてるですか? 皆の嫌われ者。
質問者からのお礼コメント
簡単な質問をすると「バカ」にされるし、 下調べして難しい質問すると嫌われます。 「共感した」は結構もらってますけどね。
お礼日時:5/25 9:10