【再質問】 戦国時代の堺が、鉄砲の産地になったのは「今井宗久」に、 先見の明があったからですか? □ <これが分かりません> 鋳物師を集めて、安物の鉄砲を量産したのでしょうか?

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日本史 | 歴史63閲覧

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1250187086さんの命名です 私の回答文) 1604年、マニラからのスペイン船が、堺に寄港していた という記述をこの論文で見つけました。 1250187086の返答文) どこにポルトガルのガレー船が入港したと書いてるですか? 皆の嫌われ者。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

簡単な質問をすると「バカ」にされるし、 下調べして難しい質問すると嫌われます。 「共感した」は結構もらってますけどね。

お礼日時:5/25 9:10

その他の回答(1件)

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武器に関することは詳しくないとお断りして回答します。 鋳物師なのか?鍛冶職人では?について 「堺」「国友」「根来」がなぜ鉄砲の産地となり得たか。 いかに今井宗久が鉄砲を作れと言っても作り方がわからないと作れません。 鉄砲が伝来した種子島は、当時国内有数の砂鉄の産地でした。 それ所以に、「堺」「国友」「根来」の鍛冶職人が出稼ぎで種子島に来て働いていました。 諸説ありますが、関の鍛冶職人が主命で鉄砲を作るさいに仲間の鍛冶職人も協力して、国産の鉄砲が完成しました。 鉄砲の自製に成功すれば、種子島に用などありません、一刻も早く国許に戻り仲間の鍛冶職人に作り方を教えるためにさっさと戻ってしまいました。 今井宗久がいなくても、もともと鍛冶職人の町なので、作り方のわかる鍛冶職人がいれば、それなりの産地になったと思います。 鋳物職人の件は私もよくわかりません。 「堺筒」「国友筒」という具合に筒状に加工し、銃尻の穴を塞ぐネジを作るのが難しかったと、以前に聞いた記憶があります。 今も堺市に「鉄砲町」があり鍛冶職人の町だったと記されているのですが・・・。