仏教では「六道があってそこで輪廻を繰り返す」「悟りを開いてその輪廻から解脱することが仏教の目標」という風に解かれています。
仏教では「六道があってそこで輪廻を繰り返す」「悟りを開いてその輪廻から解脱することが仏教の目標」という風に解かれています。 とある仏教の講座で講師の先生が「悟りを開けるのは人間界にいる時だけ。天界では悟りは開けない」と言っていました。つまり解脱できるのは人間界にいる者だけだそうです。 その時はさほど疑問にも思わずにいましたが、それ以降少し調べてみてもそのような説明を見かけません。仏教において上記の説は正しいのでしょうか?どういう経典に書かれているのでしょうか(この先生にはもうお会いすることもないので質問もできません) もし正しいとすると、天界の一つの兜率天にいるとされる弥勒菩薩(その他の菩薩も)は一旦人間界に来てから悟りを開いて如来になるのでしょうか。それとも菩薩には別ルートがあるのでしょうか?
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ベストアンサー
私が信じる天台・日蓮系では、神々(天界)が無成佛だと言う話は聞きません。それどころか、その下に位置する畜生や地獄界でも成佛すると考えています。もっと言えば、草木さえも成佛すると言います。そう考える立場からは、神々が解脱出来ない訳がない。 この知恵袋では少数派かもしれませんが、「輪廻転生」が佛教用語かどうか疑わしい事実も知る必要があります。日本の高僧が書いた物に「輪廻転生」があるのか?と言うことです。少なくとも日蓮聖人にはないと思われます。私は見た覚えがありません。 「輪廻」はあります。しかし「転生」も「輪廻転生」も見た事がありません。一切経でも、極一部使われてるだけです。だから用語として「輪廻」も「輪廻転生」も佛教にはない、と考えた方が良いでしょう。 つまり佛教を考える上、「輪廻転生」はいりません。 》兜率天にいるとされる弥勒菩薩 これは経典にあるようですが、これも無視した方がいいかと思います。 質問者さんは、地獄とか天を人と別にあると考えてるようですが、これは違います。人の心やあり方の事を言ってるのです。「私」と別にあるわけではありません。あり方の例えとして、動物や神々と言う言葉があるのです。動物や神々は、あくまでも例えだと言うことです。
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上記に誤りがありました。中頃の箇所を次のようにしてください。 【訂正】 だから用語として「転生」も「輪廻転生」も佛教にはない、と考えた方が良いでしょう。
質問者からのお礼コメント
皆様、とても詳しく教えていただき、ありがとうございました! まだまだ勉強が足りない私ですが、皆様のおかげで少し理解が深まった気がします。 どなたをベストアンサーにしようか迷いましたが、輪廻について私なりに納得させていただいたこちらの方を選びたいと思います。 皆様ありがとうございました!
お礼日時:6/21 1:52