細見美術館蔵『硯破草紙絵巻』のことでしょうか。文字起こししてみます。
あるとき大納言内へまいられ
ける跡に中道といふさふらひ
是をあけて見けるか車の
をとのしけれは思あはてゝ
をく程におとして三にわり
にけり浅増さ限なくてなき居
たるを七歳になる若公謂を
問給にしかじかと答けれはさて
はふかき勘当なるへしわか
破たるよしを申へしと
侍りけり
かのすゝり一日に一度かならす
見給けれは退出しとりたされ
けるにわれたるをおとろき
て中道に尋給に若公の
遊たまふとてとそちんしける
亜相大にいかり我子にはあら
す敵の生たるなりとくとく
しらぬ山中へもつかはすへしとて
いたさるゝに母上とかく申給も
かなはて乳母はかり具しつゝ
嵯峨に一間なる家の土の上に
小袖をしきて置たり限に
成時そのあたりに見えける
童をもてかくなんと告たり
けれは父母もろ友に来て
かなしみ給へとかひなし
さるまゝにちゝはゝ出家し
たまふ中道も実には我わり
たるよし申て同くかしら
をうしつゝ書写のやまに
のほり様々におこなひすま
してそ有けるさてわかきみ
の後世菩提を訪けりあはれ
なる事にも侍かな
明応四年十一月廿九日
源義高
現代語訳? 知らんな。応援してる。