「古事記」の神々は人間臭いのです。
それは、古代の支配層の御先祖様の出来事(史実)をモデルに神話が出来ているからです。
神(かみ)とは、目に見えない身体(み:特殊仮名遣いの乙類)のことであり、「理屈抜きに、ありのままに受け入れる」これが古神道の心なんです。
これは紀元前の縄文人・弥生人から受け継い心なのです。
私は45歳までは、原始仏教や原始キリスト教の勉強(修行)ばかりして、神道には全く、興味がありませんでしたが、邪馬台国の謎に近づくには「古事記」しかないと思い、古神道精神のお勤め(ボランティア)を始めました。
だから、観えるのです。
弥生時代後期に日本にやって来た計略的で、差別的で、ずる賢い(頭がよい)、血統を重んじる支配層が、素直で、情熱的な縄文の心を利用して、新しい神(命、尊、皇)を作ったことが・・・
分かりづらいと思いますので、例をあげます。
只、神話は多元的であり、色々な元話しからできており、何が、何処が、一番関係が深いかの判断となります。
「古事記」天地開闢
天地初發之時 於 高天原 成神名 天之御中主神 訓 高下天 云 阿麻 下效此
次高御産巣日神 次 神産巣日神 此三柱神者 並獨神成坐 而 隱身也
天之御中主(あまのみなかぬし)神
「古事記」で最初に記載される神様です。この語尾にある「神」は「ジン」と読もうが「かみ」と読もうが構いません。
天(あま):天上界にある架空の国
之(の):固有名詞につける格助詞(歴史学会は格助詞「の」と「つ」の使い分けは認めていません。阿保か!)
御中(みなか):「み」は、川や湖や海にある水(みつ)、「なか」は中央の意味。
主(ぬし):「~のぅし」の読みで、「の」は格助詞。
「ぅし」は、大人(うし)のことで、「高位な(徳が大きな:う)・人(さ/し)」の意味。
和語の基本は、語中では母音が連続しないので、「う」の読みは、殆ど発音されないか省略される。
具体的に、このモデルになった人物がいた場所は、
福岡市・春日市・那賀川市を流れる那珂川(かなかは)流域です。
ここを中心とする大きな国家が生まれ、漢に朝献するまになったのです。
すなわち、日本の文献に記載された倭奴國初の大王になります。
その根拠として、次の高御産巣日(たかみ・むす・ひ)と神産巣日(かみ・ぅむす・ひ)の2神のモデルの存在があげられます。
「古事記」では全てが、左優先になっており、先出しの高御産巣日が左、次の神産巣日が右に座すことになります。
那珂川中心とした場合、川下が北になり、左が早良平野・糸島平野で、右が大野平野・宇美平野になります。
高御産巣日(たかみ・むす・ひ):
天孫族発生の地になります。
高御(たかみ)の「たか」は「岳(たけ)」で、福岡市西区の飯盛山のこと。「み」は室見(むろみ)川のこと。
産巣(ぅむす)は「生み成長させる」意味の動詞。
日(ひ)は「ひく」の縮約で、「魏志」倭人伝の卑狗(ひく)に相当し、力(ちから)の強い長官を意味する役職名。
神産巣日(かみ・ぅむす・ひ):
天孫族に対抗した勢力地になります。
神(かみ、かむ)は乙類の神(かみ)では無く、現人(あらひと)神になる。
これは甲類の「み」で、川神(みつち)、雷水神(いかつみつち)の意味である。
口伝とすなら「かむ」と読む。
産巣日(ぅむす・ひ)は上同。
・・・このように神の話が、本来の意味が分からなくなって、語り継がれているのです。