大国主神の兄達は意地悪ではありますが、神様であることには変わりありませんよね。そのような神々もどこかに祀られているのでしょうか?

宗教 | 日本史73閲覧

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ありがとうございました!

お礼日時:7/3 21:03

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「日本神話」では、弥生時代の稲作農民の親分として「大国主命(巨大化した近遠式銅鐸)」が列島に進出していく状況が記述されています! 「順風満帆」ではなく、「各地にいる多くの(兄弟八十神、小銅鐸)」との攻防があり「銅鐸が破壊され、再鋳造される描写もあります」。 この様な状況から考えると「兄弟八十神」と言うのも「銅鐸」で、巨大化しない前の、「菱環鈕式銅鐸」や「扁平鈕式銅鐸」「六区袈裟襷文銅鐸」の事ではないかと? これ等が祀られている「博物館」ですね!

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大国主神の兄弟を八十神(やそがみ)と云います。その他大勢の神々という意味で、特に名前は付けられていないようです。 『古事記』では、八十神は大穴牟遅神(=大国主神)の兄弟とされ、神話では大穴牟遅神を荷物持ちにして、八上比売に求婚するための旅に出かけたとされています。 途中、彼らは海辺で怪我をして泣いている赤裸の兎を見つけますが、海水に浸かり、風に当たれば治るという嘘の治療法を教え、兎を更に苦しめてしまいます。 その後、八十神は次々に八上比売に求婚しますが悉く断られ、逆に八上比売は、兎を助けた大穴牟神と結婚することを宣言します。 逆恨みした八十神は、大きな猪を山から追い落とすから下で受け止めるようにと大穴牟遅神を騙し、真っ赤に焼けた大岩を上から落として大穴牟遅神を殺してしまいます。 母親の刺国若比売によって一段と麗しくなって蘇生した大穴牟遅神は、須佐之男命の神宝である生大刀や弓矢を使って八十神達を平定し、地上の主として大国主神になりました。 大国主神は、「八十神は、青垣山の裏にはいさせまい」と言って追い払ったとされます。追い払われたぐらいなので、里の人々は八十神達を祀るようなことはせず、神社を創建するようなこともしていないと思います。