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偽善を辞書で引くと、 うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。 と出ます。 うわべは善行に見えても、心の中では下心( 心に隠しているたくらみごと)がある場合に、それをされた人は幸せになれるかどうかという質問ということでしょうか。 いろいろな場合があって、偽物(にせもの)の善であることを完璧に隠し通せば、相手の人は幸せでいられます。 隠すのが下手で、相手の人に疑問を抱かせたりすれば相手の人は不幸になります。(心が悪くなる、病気になる、疑心暗鬼になる) たとえば、実際に誰かが言った言葉で、「浮気するなら、私に絶対にバレないようにやってほしい」と言ってた女性がいました。なんだかかわいそうですよね。 知ってしまうとものすごく心が病むのが分かるからそう言うんでしょうね。 中島みゆきさんも、よくそんなことを歌ってる気がします。「上手なうそをついて」とか。 良い人、親切な人と言われるために10万円の寄付をした。 何のためであろうと、受け取る側にとってはありがたい10万円にしか見えません。 でも、時間的に見て、将来その寄付をした人が、相手の人に深く関わってきて、相手の人を不幸にさせるかもしれない。 理屈で考えればそうかもしれないけど、そんなひどいことを考えること自体が、逆に "下心を持って善行を行う人" の心を悪くさせるかもしれません。 つまり考え過ぎです。 また、自分の名誉のために始めた善行でも、その善行の内容がとても良いものであれば(仮に相手にとって良い効果がないとしても)、相手の人は幸せなんじゃないかな。相手の人は「私のためにここまでやってくれた」と思うから。 たとえば、自分の名誉のためだけど、1000万円寄付したとか、 自分の名誉で始めたけど、始めると良い物にするためにだいぶ時間がかかったとか。 人間はロボットではないので、100%偽善ということはなく、善意が含まれていることもあります。なので一概に偽善だて言うこともできません。 善かどうかで惑うのは、人間だけで、その中でも特に、頭を使いすぎる人がその辺で惑っています。 たとえば、私が飼ってた二匹の猫は、近所のボス猫が突然現れた際、一匹がもう一匹を置いて、サーッと逃げてしまい、残された一匹は後からあわてて逃げました。その後二匹が顔を合わせると、いつものように友達でした。 人間だったら何であのとき一人で逃げた?! と問いつめますね。善悪があるからです。 善悪を問題にするその度合いは、その人が、動物から離れて人間らしいかどうかの度合いかもしれません。 偽善で心を温める。それで心が悪くなる。 実際にそうだとしても考え過ぎかも。 また、本当の善意なら、時間的にも相手の心を温め続け、心を良くする(すこやかにする)でしょうね。不幸もあるかもしれないけれど。 私も考えながらこれを書いたんで、あまり役に立たない回答かもしれません。 ちょっとでも役に立てばと思います。