柴田勝家で質問です。
柴田勝家で質問です。 賤ヶ岳の戦いで、なぜ上杉と和睦せずに合戦をしたのでしょうか? ご教示をよろしくおねがいします。
ベストアンサー
柴田勝家は、自身を織田家配下の一将に過ぎないと認識しており、 織田家を乗っ取った、つまり自身も天下人になれる、ある意味信長と同格の大名だと考えていた羽柴秀吉とは認識に大きな違いがあった様です。 その為に羽柴秀吉の野心と力量を見誤った事が、柴田勝家が上杉景勝と和睦できなかった原因だと考えます。 本能寺の変後、 柴田勝家は、上杉景勝とは和睦せず、明智光秀討伐に向かいます。 殊更に急がず、大坂の同僚 丹羽長英と連携して光秀を討とうとしています。 結局これが原因で、柴田勝家は、羽柴秀吉の後塵を拝し、そのまま秀吉の策略にはまり滅ぼされるのですが、 柴田勝家の行動は、織田家の家臣としては真っ当です。 織田家の観点で見れば、 謀反人 明智光秀には兵が集まらず1~2万で、鎮圧は時間の問題。 上杉景勝は、本能寺の変後に国人を扇動する等「反織田色」の強い大名ながら、その扇動による足止めは僅かに数日と滅亡寸前レベル。 織田家全体の利益を考えれば、和睦して、反織田で滅亡寸前である上杉の命脈を保つより、明智光秀討伐後に、上杉を滅ぼす方が望ましいのです。 仮にそうなっていれば、上杉景勝の領土も、朝倉義景の越前同様に、信長の代官が治める織田家の領国になっていた事でしょう。 *)「越前国掟」の内容より。 むしろ織田家臣としては、羽柴秀吉の方が異端で、織田家の事を考えていません。 秀吉が行った事は、織田家の同僚で一緒に織田を盛り立てる仲間であるはずの柴田勝家・滝川一益達を、牽制・滅ぼす為に、つまり織田家弱体化の繋がる事なのに、 織田家へ敵対していた、上杉景勝・毛利輝元に、秀吉個人の力を増す為に大封を認めたのですから。 つまり、秀吉にとっては、信長が考えた中央集権的な天下統一はどうでも良かった(全国に代官を派遣する形)。 織田家の事もどうでも良い。 ただ自分が、権力を握って、天下統一できればなんでもよいと考え、 織田家中の仲間、柴田勝家・滝川一益を仲間ではなく政敵として、躊躇なく滅ぼす事にした。 それに協力させる為に、織田家の敵対者にも、大封を認めた。 その代表格が、毛利輝元であり、今回ご質問の上杉景勝だと考えます。 皮肉にも、後々の話ですが、 敵対者だった者の大封を認める事で成り上がった秀吉の豊臣家の政権は、 織田信長が本能寺で亡くならなければ、大大名として残る事はなかったであろう毛利・上杉などが大大名として残し、 その秀吉が大封を認めた大大名達の権力闘争の中で豊臣家は政権を失い、更には豊臣家自身も滅ぼされるのです… ともかく以上の理由から、羽柴秀吉は、上杉景勝を自陣に引き入れるのに躊躇はなく、 上杉景勝も、柴田勝家ではなく、羽柴秀吉とならば従う事に躊躇がなかった。 なぜなら当時の上杉景勝の最大の難敵が「柴田勝家」と結ぶ「親織田」の「新発田重家」だったからです。 新発田重家は越後内(下越)の上杉配下の国人でしたが、自身や一族・仲間の武功を上杉景勝が認めず、得た利権を景勝が独占した事から、景勝に反旗を翻します。 上杉景勝は新発田重家に連敗、下越は新発田重家の手に落ち、中越をも伺う勢いでした。 上杉景勝は「反織田」でしたから、 新発田重家は「親織田」の「伊達輝宗」・「葦名盛隆」と結び、更には「柴田勝家」とも結んでいます。 ですので逆にいうと、柴田勝家は、上杉景勝とは和睦し難い。 上杉景勝と和睦するという事は、 同じ「織田家中」の羽柴秀吉との戦闘に備えて、「反織田」の怨敵 上杉を許すという事であり、 織田全体としてマイナスと同時に、 親織田で、一緒に戦ってきた仲間、新発田重家・伊達輝宗・葦名盛隆を裏切り、離反されるリスクを背負うという事です。 特に、賤ヶ岳の戦いの前に上杉景勝と和睦するのは難しい。 上杉景勝は既に柴田勝家の不倶戴天の的、羽柴秀吉と既に和睦し同盟しており、その同盟は、上杉景勝にとって多くのメリットがあるのです。 反織田として上杉景勝は織田に滅ぼされる寸前でした。その実行部隊が、柴田勝家に加え、 新発田重家・伊達輝宗・葦名盛隆なのです。 秀吉の提案は、上杉景勝に、一緒に彼らを滅ぼそうというものだからです。 柴田勝家がそれ以上のメリットを上杉景勝に出すのは難しいのです。 領土割譲等ならあるいは可能性はありますが、仮に行ったとしても、柴田勝家自体が弱体化します。 またそこまでしても、怨敵 上杉景勝が自領に攻めてこないと信じきって、佐々成政などを対 上杉の任務を解いて、賤ヶ岳の戦いに連れてくるのは難しいと思います。 結局、羽柴秀吉が毛利と和睦したように、本能寺の変直後に、柴田勝家も羽柴秀吉に先んじて、上杉景勝と和睦するしかなかったとは思うのですが、 それには織田家最大の敵は、外部の大大名ではなく、羽柴秀吉だと判断し、織田家全体の利益をマイナスにする事も許容しなければなりません。 歴史を知っている我々ですから思い付く事もできますが、実際には難しかったように思います。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました
お礼日時:7/3 21:30