ベストアンサー
結論から先に述べると、おそらく違います。 戦国武将の木曾義昌は、代々信濃国木曾谷を本拠地としてきた豪族・木曾氏の第19代当主であり、木曾氏の初代は(文献によって名前が異なるのですが)木曾家の家譜『高遠記集成』によれば、木曾基宗という人物です。 木曾氏は、代々木曾義仲の子孫を自称しており、基宗を木曾義仲の五男と称していたのですが、実際の基宗は、藤原北家秀郷の流れを汲むとされる上野国沼田氏の出身で、木曾基宗は姉が義仲の側室となっており、義仲との血縁関係は無かったものの義弟というべき存在であったため、木曾義仲父子が源頼朝に滅ぼされた後に木曾谷を支配するようになり、その子孫は自らの支配権を正当化するため、木曾義仲の子孫を自称するようになったのであろうというのが、現在における通説的な見解です。
質問者からのお礼コメント
お二方回答ありがとうございます
お礼日時:7/3 21:33