まず出典元になる『信長記』の原作者である小瀬甫庵は、本人自ら認める小説家であり、面白いように脚色するのは当然だと言っていた人であり、史料価値はほぼゼロで、文学作品としての価値のみです。
要するに、「長篠の三段撃ち」なるものが存在したといえるような史料は地球上に存在しません。出典自体が、後世の創作です。
さらに、三段撃ちは、あんな面倒くさいことをしなくても、簡単に同様のあるいはそれ以上の効果を出せるのです。
まず斜面に陣地をしいていれば、高低差がある。わざわざ列が、わしゃわしゃと移動しなくても、高低差があれば、射線は交差しない。その場で装填と射撃を繰り返せばいい。早く撃ちたいなら、動くだけ時間の無駄。
同じ高さであっても、しゃがんで立て膝で構えるのと、立って構えるという、二つの列を作れば、銃列ができます。それぞれの射撃のタイミングをずらせば、やはり装填時間が半分になったような効果がでる。
さらに、仮に同じ高さの単一の列であっても、列を組に分けて、射撃と装填の照準のタイミングをずらせば、組毎に次々に斉射して、全体として連射しているような効果がでる。
そして、最も早く射撃を繰り返したいのであれば、装填手と射撃手を分けて、手渡していけば、明らかに一番早く射撃できる。列を移動させる時間が全く無駄。
これは普通にある射撃時のやり方であり、単純に戦国時代の戦い方について一切記録のようなものがないので、日本でどうやっていたのか証明できないというだけです。
いずれにしても、三段撃ちは、机上の空論・素人の浅知恵・非効率の極みで、誰かがやった証拠もないし、やっても二度とはやろうとは思わない程度の大した効果もなかったといえます。