芥川龍之介さんの羅生門の続きを作るとしたらどうしますか?250文字位でお願いします!

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます!

お礼日時:7/3 20:34

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I&M.d.W.さんとは、別の角度からの回答になりますが、続きはあり得ません。 下人ってのは、親元から離れた新社会人と読み解きます。 羅生門の階を上がるってのは新社会人として社会に出ると読み解きます。 社会の荒波にもまれ、自分ひとりの理想やらモラルではなく、社会のモラルに合わせる事を学び(妥協し)ます。(老婆との邂逅) そして、羅生門の階から降りるってのは現世から旅立つ……つまり死です。 死んだ先の事はわからない、からこその「下人の行方は誰も知らない」です。 ほら、きれいにオチてるでしょ? なんで、続きが必要になるんですかね。

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この質問にある、教科書指導書の設問と、それを教師がそのまま生徒に課す課題の問題性について、昨年10月に以下のような回答をしました 結びの文を『下人の行方は誰も知らない』と最終的に改めたのは、「下人はこの後どうなったか」を作者が読者に想像させないようにするための改変です それを学習者に考えさせるようにする現在の高校教科書の設問は明らかに作品理解としておかしいです 語り手が明瞭にそれについて語ることを拒否しています その事を理解させるのが本筋です この設問は文学教育として論外です 語り手は『下人の行方は誰も知らない』と書いているのです 『誰も知らない』です それを文字通りそのまま読むべきです 作品内世界を読者に語る語り手が、作品内世界の『誰も知らない』と断言するその下人の未来を、どうして作品外世界にいる読者が想像し得るというのですか? 読者が如何なる未来を想像しても、それは作品内世界の誰かが【下人のその後を知っている】ことになります それでは語り手の最後の文言と明白に矛盾してしまいます 語り手が主人公の未来を語ることを拒否した作品は「閉じられた作品」です その「未来」を考えさせるのは文学教育として誤っています この設問に答えさせられる毎年の学習者何万人のうちの数人が、ここで質問し、それに判で押した回答を繰り返す回答者がいて、それを見るたびに市中三虎を思い出します 最悪の課題、誤った質問でも、それに回答が付くことが繰り返されれば、人はその課題が正当であるかのように錯覚するし、その解答が妥当であるように錯覚します しかし、誤った問いと解答は何万回何億回繰り返されようと、正の意味などは生まれず、愚行が天まで積みあがるだけです それをWEB上に刻むために私はこの回答をします

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昔から百回以上出ている質問です。 上の検索窓に「羅生門 下人のその後」と入れて検索してください。 たくさんヒットします。 以下に私の過去回答を再録します。参考になさってください。 走り去る下人の頭に、その時すばらしいアイデアがひらめいた。そのころ西の京は湿地帯で、蛇がうようよ棲んでいたことを思い出したのだ。 彼は引き返し、老婆に言った。 「その蛇の干魚を、お前がこしらえて売れ。蛇などは、わしが毎日籠一杯でも獲ってきてやる。 どうだ? さすれば、お前も死人の髪など抜かずとも食っていけよう。わしとて、引剥をしてさらし首になりとうはない。 それより、太刀帯ども相手に商売するほうが、よっぽどよいわ。」 こうして二人は組んで商売に精を出し、成功を収めた。 やがて下人は良家の婿に迎えられ、老婆はその養母として大事にされた。 めでたし めでたし * 当時、西の京が湿地帯だったことは史実です。

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