豊臣秀吉に関する問題で分からなかったので質問します。 a君:刀狩りには「武具を蓄えれば領収に対抗し一揆を企てる」とあることから、刀狩りの狙いは[ A ]であると考えられてきました。
豊臣秀吉に関する問題で分からなかったので質問します。 a君:刀狩りには「武具を蓄えれば領収に対抗し一揆を企てる」とあることから、刀狩りの狙いは[ A ]であると考えられてきました。 b君:しかし、その後も江戸時代にかけて、各地の村に多くの武器が残っていたことが明らかになってきました。 たとえばイノシシやシカを駆除する為の鉄砲の所持は許可されていました。 また、刀も祭器としての保管は認められていたようです。 帯刀が名誉の象徴であったことも踏まえ、刀狩りは[ B ]という象徴的行為で、その狙いは[ C ]にあると捉え直すことができます。 a君:「農具だけ持ち耕作だけき専念すれば子々孫々まで長久である」と刀狩りの条文にも注目してみました。 支配側の一方的な言い分として読まれがちですが、百姓に申しかけるような条文は統一政権として[ D ]を明確にした宣言とも読み取ることができます。 選択肢 ア. 村の平和と百姓の自立 イ.百姓の帯刀権を原則として剥奪する ウ.兵農分離 エ.村の武装解除 知識のある方教えて下さいm(_ _)m
ベストアンサー
A→エ B→イ C→ウ D→ア と自分で考えてみました。 以下は歴史学者の見解(主に山本博文氏の説) A・秀吉の刀狩自体は統一法令ではなく、九州を主として行われたものですが、西国は兵農分離が進んでいなかったので九州一帯を主に出されたのでしょうか。 九州の多くの土地が、秀吉家中に与えられる新地なので在村する地侍(土豪)が被官化を拒み、一揆をおこすことを予見して出したとする説は今でも根強いのですが・・・。 B・むしろ江戸幕府の政策ではないでしょうか。秀吉はそこまで意図していなかった。 C・秀吉の政策は兵(侍)⇔農の身分の行き来を禁じたものです。つまり在村する地侍に新しい領主に仕え被官となり所領替えに応じるか、元の土地に留まりたいのであれば、耕作人(農民)になれと迫ったものです。 D・これも九州に出された刀狩時の布告文です。 九州各地で新領主に抵抗する土豪らの反発を予見した秀吉の予防策だったと見做す説もあります。 教科書の解釈に従うと、大陸派兵時の各大名による軍兵集めは秀吉の政策に逆行する矛盾が生じます。
質問者からのお礼コメント
自分の解答とあっていたので、安心しました! ご丁寧な回答ありがとうございます
お礼日時:7/2 20:04