今さらですが大本と天理教が仏教系じゃない(それで合ってますよね?)、ということに先日初めて気付いて、何気にビックリしました(汗)

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2023/12/3 20:25

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大本の場合はお稲荷さん(きつね)を拝んでいる亀岡の拝み屋婆だったらしいです。そこにやくざ筋といわれる出口王仁三郎が入り込んで、教学を作り新宗教化したのです。本尊はお伊勢ではなく、島根の出雲大社としました。出雲は黄泉の国(死者の国)とつながっているとされたので、霊界を語る裏神道みたいなものを作ったのです。しかし、調子に乗って、天皇は偽者の天皇で、自分が本当の天皇だみたいなことをいい、皇居前で集会を開いたりしたので、不敬で逮捕弾圧されたのです。その後、ここからたくさんの新々宗教が分裂しました。 天理教についてはよく知りません。以前調べたけどもう忘れてしまいました。奈良の庄屋かやや裕福な農家の人がかみがかりになって、だんだん信徒を増やしたのではなかったかしら。神楽とか田舎の農民宗教の伝統を継いでいるようです。 いずれにせよ、明治政府の下で神道が国家儀礼化して、神主も公務員化して、村の鎮守の森などが生き生きとした宗教性を失っていく中で、それに飽き足らない人たちが教派神道、新宗教として設立したものだろうと思います。

そうそう、天理教の場合は、不幸続きだった女性が突然神がかりになって、男みたいな口ぶりで世直しとか建て直しとか説くようになった、その後何代かかかって、教団化していったのかな、よく知らんけど。間違ってたらごめんなさい。まあ、今は天理市になって大規模な教団ですよ。ただ、世襲宗教化しているので、信者が老齢化していて閉じてますね。宣教もあんまりやってない。教師は基本専業じゃないとだめなので、なかなか生活は苦しいみたいです。食うには最低30世帯の信者がないとだめだそうです。主な活動は神楽、田楽を踊ることだと言ってました。

天理教が広まったのは、今もありますが安産守りと聞いています。(をびや許し) ご利益があって広まっていったようです。 取締りなどは人が集まってくるようになってからで、一時期神道に属したようです。

人間なんて目先の欲だから、来世の安心よりもさ だから、せっかく本物のお釈迦様の正法で帰命してるのに なんで現世利益をとったかな中山みきさんは

大本教も天理教も幕末から明治にかけて発生した神道教団は、その教祖が出雲大社で神道や布教などを学んだとされます。出雲大社で大社教が誕生するその時期です。

新興宗教が広まる為にはまず教祖の個人的な魅力(カリスマ)と教団の組織力が重要です。 教理そのものはさほど重要ではないというのが私の意見です。 オウムにせよ幸福の科学にせよ、教祖の強烈な個性が人を惹きつけるのだと実感出来ます。