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エホバの証人の考え方について。 過去の見解が間違っていた時、エホバの証人は、預...

ruua_anekさん

2009/9/2610:40:22

エホバの証人の考え方について。

過去の見解が間違っていた時、エホバの証人は、預言の言葉は徐々に明らかにされていくものだと語りますが………

なぜ、全てがわかるまえに、そのように考えられるかもしれないと発表しちゃうのでしょうか??

はっきりとわからないなら、わかるまで待つのが道理ではないでしょうか。
わからないのに、雑誌に出しちゃうから、ちがった時に、まだハッキリとされてなかったんです…って言わなきゃならなくなるんですよ。 多分そうだろう…で行動したり言ってないで、わからないことは一切語るな!って思いませんか?
子供には、わからない時は勝手な行動しないの!って怒った事はありませんか?
上の本部が、同じように行動してても不思議に思わないなら洗脳としかいいようがないですね…。

補足皆様の回答に感謝します…ダニエルは自分で語ったが理解する事ができなかったと、きちんと述べているので、わからないならそのように、ハッキリと述べてもらいたいです。神の霊によって、将来自分が天に行くかどうかを不完全な人間が100%わかると言ってるぐらいなら、それよりも劣る他の予言も当たるはずなんじゃないかなと。それで、はずれた時、不完全な組織ですから、徐々に明らかにと言われても…んっ?ってなります

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ベストアンサーに選ばれた回答

bun6226さん

編集あり2009/9/2920:36:21

↑質問がエホバの証人の考え方についての質問ですので。

この組織を見ているとこんな聖句を思い出します。


「話すようにとわたしが命じたのではない言葉をあえてわたしの名において話し,あるいは他の神々の名において話す預言者,その預言者は死ななければならない。そして,あなたが心の中で,『エホバが話されたのではない言葉をどのようにして知るのか』と言う場合であるが,もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない。」(申命記18:20~22)

聖書がどう言っているか?書いているではありませんか。聖書が神の霊感を100%受けたものだと解釈していると言っておられる証人さんたちならきっと最後にこの組織がどうなるか予測できますよね。
質問者様の補足、すごく納得できる・・。

質問者様が一度補足したら、追加は確かできなかったと思うので、僭越ながら・・
>100パーセントわかるってどの書籍に?
の件ですが、5%でも天に行く事を本人が疑っていたら表彰物にあずからないのでは?自分はどういう者かわきまえている人があずかるのでしょう。つまり少なくとも本人は天へ行く事を確信しているのではないですか。(ものみの塔90年 2月15日号 19ページ)そういう意味で質問者様は100%わかると書かれたのではないでしょうか。
ああ、また質問と関係ない事書いてしまった・・

質問した人からのコメント

2009/9/29 23:09:58

感謝 補足の補足に感謝します(笑)
ものみの搭09年6/15P22の12#13 節に。天への召しについて「個人に対するその招きは神からのものです。招かれた人は、何の疑いも恐れも抱かずに、神の子として生み出されたことを即座に受け入れます。(省略なし)」とあります。これは100%を意味するのではないでしょうか? utlightさん、エホバの証人ならもう少し資料を調べてから回答しましょ…。

ベストアンサー以外の回答

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faile22170さん

2009/9/2819:41:55

皆さんエホバの証人を気にしすぎ。
エホバの証人以上にいつ来るかとか、解釈に神経質になりすぎ。
エホバを待ちましょう。

2009/9/2719:40:21

洗脳とは言わないが
ようは「間違ってるかもしれないから皆ほどほどにね」とか
「外れちゃった、ごめんなさい」というような意見がほしいんだな

そうしたら、宗教団体としては結束力を失ってしまう
彼らは占い師よりも預言者、正しさよりも正当性を求めているのだから

あまり控え目に予言をしたり
また、何も世間に対して公言しないと
信仰者たちは「白けてしまう」わけだ

元なんたら教信者、という人間の話を現実によく聞くが
「臭み」が見えた時点でやっぱ抜けたくなるらしいな

2009/9/2717:42:27

いや、分からないことでも、語っても構わないんですよ。
ただ、大前提として、語る人の責任において語り、誤っていたら、きちんと責任をとることです。

ものみの塔幹部が問題なのは、(個々のエホバの証人の事を言っているのではありません)、エホバの名のもと、神の組織の名のもとに語り、間違った場合でも、責任を取らないで、時の流れとともに、こっそりと教義を変えているからです。
ここに最大の欺瞞があります。
例えば、ハルマゲドンの時が1914年、1918年、1925年、1942年、1975年と変更され、いずれも外れています。 輸血の問題にしても同じです。 1960年代は、血液製剤も、臓器移植も禁止されていました。 徐々に光に照らされてなんてのは、欺瞞に欺瞞を重ねることでしかないです。
外れたことについて、あるいはミスリードしたことについて、幹部は責任を取りましたか?
この終末を信じて、人生を棒にふった多くの罪のないエホバの証人の方に対して、経済的な保障とまでいかなくとも、きちんと誠意をつくして謝りましたか? 適切な医療を受けられず、命を落とした何も知らされていないエホバの証人の遺族にちゃんと保障しましたか、謝りましたか?

多くの人を指導する立場にある方が、その発言について重い責任を負うのは、人間として当たり前の最低限度の常識です。
エホバの名の下に、神の組織の名の下に、ミスリードして、結果について責任を取らず、「お互い欠点のある人間だから・・・」というのは、言い訳もはなはだしい。 それだったら、初めから、人間の名前によって、人間の組織として預言したり、指導したりすれば、いいんです。

私の個人的経験から言っても、一般社会のどんな組織でも、先の事を断定的に発言する場合、自己責任において、覚悟を持った上で発言し、結果についてちゃんと責任を取る。 これが常識です。責任を取らなければ、2度とその世界では相手にされません。
そのための情報開示制度も、ますます厳しくなってきていますよ。

yasurohmanさん

2009/9/2716:41:47

組織の今でてる見解もこれからでる見解も一時しのぎのその時その時の教えですので、
勤勉に守るのはバカらしいですよね。

進化論については

ミッシングリンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/ミッシングリン
古生物学におけるミッシングリンク
ダーウィンが進化論を発表した1859年当時は、
進化の過程を裏付けるサルと人類の間の中間種の化石が発見されていなかった。
以下をお読みください。
断続平衡説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E7%B6%9A%E5%B9%B3%E8%A1%A1%E...

ものみの塔宗教と進化論
『生命-どのようにして存在するようになったか進化か、それとも創造か』の考察
http://www.jwic.info/life_con.htm

エホバの証人と祝日

パリサイ人は長い時間をかけて何が「清い」何が「汚れた」かを議論し、
それに基づいて規則を作り、
あたかもその規則を守ることで清くなれるかのように人々にそれを守らせたのです。
エホバの証人の人々がキリストにおける自由を見ることが出来ないことは不幸なことです。
ちょうど昔のパリサイ人と同じように、彼らは祝日、
物体、特定の人々、に対する恐怖と規則で縛られて生きているのです。
彼らが、パウロのコロサイ人にあてた手紙の中に述べた根本原理を理解、、、
http://www.jwic.info/holiday.htm

写真は
http://www.h3.dion.ne.jp/~pbwzwdq/jw/jw_kaiyaku/
にあるもの

組織の今でてる見解もこれからでる見解も一時しのぎのその時その時の教えですので、...

srph320さん

編集あり2009/9/2814:08:45

こういうものを洗脳と言うのならば、なにもエホバの証人の世界に限らず、どんな世界にも洗脳はありふれた日常のような気がしますけど。

例えば、進化論などはその最たる例で、世間一般的には常識として認められている「事実」とされていますが、実際は出尽くした感のある化石からは何も、ある種からある種への進化過程にある化石が見つかっていない状態なのに、大半の科学者が創造論を否定するのは、ある種の科学からの洗脳と呼べるものだと思います。

キリスト教にしたってそう、クリスマスはもはやキリストの生誕の日ではないとカトリックの上の人は認めているにもかかわらず、何の日でもないのに祝っているのは、「洗脳」と呼べる代物じゃないですか?

そういう科学の予測、主流宗教の間違いからすれば、エホバの証人の提出する過去の見解というものは、真実をあくまでも見極めようとする態度からすれば、かわいいものだと思いますけど。言わんとする本質(教え)がブレているなら、話は別ですが。

>神の霊によって、将来自分が天に行くかどうかを不完全な人間が100%わかると言ってる
これはちょっと違いますね。100%とは言ってませんよ。実際、後で違うと気付く人もいて、表象物にあずからなくなる人もいますから。

1914年、1918年、1925年、1942年、1975年は確かにそうですね。1975年くらいになってくると、「かもしれない」であって、断定してはいません。それを信者側が信じないのは信仰がないのと同じだというような空気を出して、いろいろと内側で物議をかもしたことはあります(特に日本。全体主義の弱点の最たる例)。が、基本的な教えは変わっていない。これは私見ですが、協会側ももうおそらく年を断定することはないと思います。「そりゃ、そんなに外していたらね」と思うでしょうが、じゃあそれが当たっていたらどうなんでしょうか?「あー、やっぱ信者になっておけばよかったな」ということになりますか?普通はならないでしょう。

信仰の問題ってそんなに簡単じゃないんですよ。主眼点はそこじゃない。取っ掛かりはそこなのかもしれないですけど、他の回答でも繰り返していますが、問題は神はどんな方であるか、神の意志は何であるか、聖書はどう言っているか、聖書は信頼できるのか、であって神の導きがあるなら、組織も完璧なんだろ?っていうのは違うと思います。

それなら、神の導きを受けている組織である、と謳歌するのはどうか?という問題になると思いますが、
視野を広げていただきたい。公式HPを383の言語で見られる宗教組織がどこにありますか?
キリスト教が答えられない問題を聖書から紐解いている組織はどこですか?

ダニエルの時代から今まで、何年経ったでしょうか。もし神がおられるなら、ダニエルの預言も時の経過とともに紐解かれるはずではないですか?それを紐解いている組織はどこでしょうか?神がおられないとするならば、ダニエルの預言も何の意味もありません。

ダニエル、イザヤ、エゼキエル。これらの預言の意味を納得させてくれる組織はエホバの証人だけだと思います。

エホバの証人に何を言っても無駄。それもそのはず。質問者様がエホバの証人をどうしたいのか、批判したいのか、目を覚まして辞めさせたいのか。それであれば、無駄ですよね。こういう会話も平行線のままだと思います。こちら側としては、聖書の神がどういう方かしっていただきたいと思っているので。

反対者、背教者はみなエホバの証人について、特に組織についてヤイヤイ言いますが、神についてはどうでもいいみたいですね。本当はそこが一番大事なのに。繰り返しかもしれませんが、聖書の神がどんな神なのか、神の意志は何なのか、聖書ではどういっているかが大事なのに。悲しい限りです。

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