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江戸時代に庶民が食べていた肉料理はなにがありますか? 小説を書いていて生類憐...

say********さん

2009/10/2823:49:52

江戸時代に庶民が食べていた肉料理はなにがありますか?
小説を書いていて生類憐れみの令が発令される直前のもので参考にしたいな…と

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ベストアンサーに選ばれた回答

kou********さん

編集あり2009/11/116:52:31

江戸時代、表向きは奈良時代からの獣肉食禁止を引き継いでいました。鳥肉と魚肉だけがOKでした。
特に牛馬については、農民の補助労力であり、屍牛馬の処理は被差別階級の方たちの独占事業とされていたので、庶民を含めて牛馬の屠殺は禁じられていました。
しかし、「ももんじや」と呼ばれる獣肉料理を扱う料理屋が存在したのも事実です。これは一般的に認められていたウサギ肉(ウサギは鳥の一種であり、一羽、二羽と数えた)の他、山くじら=またはボタン=イノシシ肉(山で捕れたクジラとこじつけ)、紅葉肉=鹿肉のようなものが料理提供されています。今両国橋のたもとに残る山くじら料理の「ももんじや」さんは九代目ですから、江戸中期から商売されています。
またおとぎ話の「かちかち山」では、おばあさんが捕まったタヌキさんをタヌキ汁にして食べてしまおうとします。それを不思議に思わず受け入れてしまうのは、厳密に獣肉食禁断の教えを守っていたわけではないことを伝えています。原理主義的に宗教戒律を厳しく言えば、タヌキさんの正当防衛で死んだおばあさんは「仏罰があたった」ことになって物語はそこで終わりにしなくてはなりません。野生動物なのでそうそう供給量はありませんが、それだけにご馳走であったわけです。

徳川家康の正月元旦の雑煮は、太田道灌の江戸開府の故事に従い、すまし汁にウサギ肉と青菜に切り焼き餅を入れたものだったそうです。その家臣になると、青菜に切り焼き餅だけのものになりますが、、、また、豊臣秀吉は、朝鮮の役の際に強壮食として虎の肉を塩漬けにして送らせた記録があります。

質問した人からのコメント

2009/11/1 20:41:53

たくさんの解答ありがとうございました。どの方の解答もすごく参考になったのですが使いたかったネタに一番沿っているのでこの解答をベストアンサーとさせていただきます。

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sya********さん

2009/10/2919:35:37

場所によって違いがあると考えていいでしょう。

江戸のような都会ではそもそも野生動物が少ないですし、仏教的タブーも浸透していたので肉が食べられることは少なかったでしょう。(「鳥類」や「鳥とみなされていたウサギ」、「魚とみなされていたクジラ」は除きます。)
※「薬食い」と言い訳をしながらこっそり獣肉を食べることはあったでしょう。(専門の「料理屋」ができるのは先のことです。)

江戸初期ということでしたら例外として「犬」が好まれていましたが、「犬」を食べるのは主に武士でした。(戦国時代の「いかもの食い」の蛮習が残っていたのです。一時期は江戸の町から野良犬が消える程でした。)

対して農村部ではいろいろな種類の「肉」が日常的に食べられていたようです。
「鳥類」「ウサギ」「クジラ」「犬」のほかに、
鹿・猪・狸・猫・アナグマ・オオカミ・ネズミ・猿・イタチ・狐・イルカなどが食用にされていました。
これは田畑や漁場を荒らす有害鳥獣は狩りの対象になっていたからです。(「農具」としてなら火縄銃の所持も認められていました。)
※「狸」には「アナグマ」や「猫」が含まれます。当時の人はどういうわけか「猫」も「狸の同類」としていたようです。

調理法ですが、江戸初期ということですから「醤油」は普及していません。
「味噌」で味をつけて汁の多い「鍋」にしたり、臭みを取るために湯で何度も煮こぼした茹で肉を「羹(あつもの)」の具にしていたのでしょう。
日葡辞典(戦国時代に書かれた辞書)には「青茹(あおゆで)」という料理が出てきます。カモの肉を塩味の汁で食べる料理のようですが、他の肉にも応用された調理法だったと思います。

保存方法として、生肉を干した「干し肉」、囲炉裏の煙を使った「燻製」、生の鳥や獣の肉を発酵させた「なます」や、ツグミの肉を内蔵ごと刻んで塩を加て作った「うるか」(塩辛の一種)などがありました。

mad********さん

編集あり2009/10/2914:24:18

前の方も書かれていますが、獣肉料理として「ももんじ屋」が存在しました。
商売としては、猪、鹿、馬、牛、ウサギ、鶏、鳥一般あたりでしょうが、犬、タヌキ、熊、猿・・・も食べられてました。

滋養のため、病気からの健康回復食という名目で、「薬喰い」と言われてました。その意味では、“薬膳料理”として存在していたようですが、江戸の中期以降は、一般的とまでは言わないまでも、食べられていたようです。
多分、当時の人も「美味しい」「パワーがつく」と思っていたんでしょうねぇ。

これまた、前の方も書かれてますが、『鬼平』には、軍鶏鍋や猪や鹿肉を食べるシーンも出てきます。まぁ、こちらはあくまで小説ですが・・・。


5代将軍の時代が、どうだったかはわかりませんが・・・。

ただし、「生類憐れみの令」で処罰された人は、記録上ほとんどいませんから、表立ってはともかく、肉を食べていたと思いますよ。

mok********さん

2009/10/2913:11:26

池波正太郎先生の『鬼平犯科帳』にて、火付け盗賊方改め
の長谷川平蔵が、軍鶏なべ屋「五鉄」にて舌鼓をうった
軍鶏なべではないかと。卵で閉じて良し、雑炊にして良し、
おそらく今の親子丼のルーツであろう軍鶏なべは、絶対うまい
と思います。

aka********さん

2009/10/2909:49:47

たしか憐みの令の影響で日本での犬食文化は消えたと聞きました。
そういえば薩摩ではえのころ飯というのがあって、殺した犬の内臓を取り出して捨てて中にといだ米を詰めて針金で閉じ、そのまま火で焼いて黒こげになってから赤や黄色に染まって炊けたご飯を取り出して汁をかけて美味しく食べたそうです。

あっ、気色悪いからって不適切な投稿として違反報告しないで・・・。

k1_********さん

2009/10/2909:13:08

「生類哀れみの令」以前から飛鳥時代676年聖武天皇の頃仏教伝来とともに、獣肉を食することはタブーとなっており、原則的にこの思想は明治維新で世が変貌する迄あった。勿論例外はあったでしょう、有名なのは水戸の烈公・水戸斉昭などは薬食として肉食愛好家だった。山奥のマタギ(熊撃ち猟師)など・・しかし一般の庶民は精進料理に毛の生えたような表現はオーバーだが、魚肉がメインだった。ゆえに当時は慢性的な栄養摂取不足で、結核病などが多く平均寿命が短かかった。

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