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例えば、時刻では、1時〜3時が丑の刻、3時〜5時が寅の刻で、丑の刻と寅の刻の境目にあたる3時ちょうどの丑寅の刻は鬼の呪力を得られる鬼門の刻であることから、1時〜3時に丑の刻参りをする風習があります。 方角では、北北東微東が丑の方角、東北東微北が寅の方角で、丑の方角と寅の方角の境目にあたる北東が丑寅の方角で鬼が出入りする鬼門の方角とされます。 旧暦では、大寒を含む月が12月(丑月)、雨水を含む月が1月(寅月)で、大寒(丑月)と雨水(寅月)の境にあたる節分〜立春(丑月晦日〜寅月朔日)が丑寅の鬼門にあたります。 冬至…11月…0時…子…………00度=北 大寒…12月…2時…丑…………30度=北北東微東 節分〜立春…3時…丑寅(艮)…45度=北東…………鬼門 雨水… 1月…4時…寅…………60度=東北東微北 春分… 2月…6時…卯…………90度=東 このように時刻や方位や季節や干支を結びつける陰陽五行という考え方があって、暦月では丑月晦日〜寅月朔日、節気では節分〜立春の境目が鬼門にあたるため、丑月晦日や節分に鬼(邪気や災厄)を払う行事が行われるようになります。 丑月晦日=大晦日の宮中の鬼払いの儀式が「追儺」で、このうちの「豆打ち」が民間へ広まり、節分の鬼払いの行事になったようです。 鬼門の方角に桃の木を植えたり節分で豆をまくのは、果実や穀物には邪気を払う力があるからとされていますが、とくに節分で豆をまくのは、豆には「魔(鬼)の目=魔目(まめ)」と「魔(鬼)を滅する=魔滅(まめ)」という意味の二重の語呂合わせがあって、京都の鞍馬山に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げで鬼の目に豆を投げつけて退治した(魔の目に豆を投げつけて魔を滅した)ことに由来するともいわれています。 簡単にいえば、 > 節分の豆まきのルーツってなんですか? −大晦日に宮中で行なわれていた「追儺」という鬼払いの儀式 > どうして節分で豆を蒔くようになったのでしょうか? −豆には魔(鬼)を滅する力があり、節分は季節の鬼門にあたるからです。 【節分】のいろは - 厄除け・節分All About http://allabout.co.jp/contents/sp_yakuyoke_c/seasonalevent/CU20090119B/index/ 節分 - 歳時記 - 保護者 - キッズgoo http://kids.goo.ne.jp/parent/seasonevent/setsubun/ 節分 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86 追儺 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E5%84%BA 暦と時刻と方位と干支の対応の図 http://www.kuu-kikaku.jp/rekishi/jikoku-etc.html#koyomi-jikoku-houi-eto
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質問者からのお礼コメント
マヂで感謝です
お礼日時:2009/12/24 23:11