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鎖国中、朝鮮から通信史が来ていましたが、あの当時朝鮮も鎖国していたのでしょう...

nan********さん

2010/1/211:02:03

鎖国中、朝鮮から通信史が来ていましたが、あの当時朝鮮も鎖国していたのでしょうか?

明治維新の時、征韓論が囁かれていたので、いつごろから鎖国しているのかな、と思いました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2010/1/211:22:15

難しいですね
当時の朝鮮は海禁政策をしつつ 中国や日本とそこそこ付き合っていました

だけど19世紀になって西洋諸国がくると追い返す形をとっています

征韓論の背景には明治維新を「主君に対するクーデター、政権乗っ取り」と捉えた朝鮮側が日本を「無礼の国」として「国交結んでたのは江戸幕府だから明治政府とは結ばない」とした事があります

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2010/1/215:22:15

その問題設定には無理があります。朝鮮には一貫した外交方針があったわけではないのだ。李朝は世襲で続いていたから王朝には違いないが、その王に一貫した外交方針など無かったのだ。その時、その時の対外情勢にどう対応するか。相反する外交方針をかかげる勢力の権力闘争によって外交方針が決まるだけです。満州、中国、日本、琉球にどう対応するかということです。それが政治勢力の権力闘争で誰が実権を握るかで変わるのです。宗主国である中国の情勢が朝鮮にとっては最大の関心事であり、その中国の政変にどう対処するかが最大の政治課題となります。朝鮮が徳川幕府と国交を回復したのは、朝鮮の役の後に明の軍が朝鮮から撤退してしまって、今度日本から攻められたら、もう明は助けてくれないのではないかと疑ったことがあるのです。そうであれば日本と講和しないと拙い。そういう政治判断があったのです。また対馬も半独立的な政治勢力として活動しています。対馬藩は稲作では領地経営が成り立たないので、何としても朝鮮と交易したいのです。だから幕府と李朝の間に入って国交回復が成立するように積極的に動きます。そうでなければ密貿易するしかないからです。幕府も朝鮮のことがよく分からないから、対馬を利用しようとします。朝鮮も幕府のことがよく分からないから対馬を利用しようとします。そして国交回復がなり、朝鮮は倭館と呼ばれる日本人居留地を釜山に設け、対馬に独占的交易権を与えるのです。それは幕府も同じで、対馬藩だけに朝鮮との独占的交易権を与えました。そうでないと対馬藩が成り立たないと知っていたからです。満州で女真族が勢力を拡大し、清を国号とした頃、朝鮮では例によって親明反清派と反明親清派の権力闘争が起きるのです。親明反清派は朝鮮の役で世話になった明を裏切るわけにはいかないという主張であり、反明親清派は明はもう落ち目だ、勢いのある清につくべきだという主張です。この先も続くけど長くなりすぎるので、この辺で一旦打ち切るが、朝鮮にとっては満州、中国、日本、琉球だけが世界のすべてであったのです。だから鎖国も開国も定義のしようがない。それぞれどう対処するかというだけです。対外情勢が変わらない限りは外交方針も変わらないのが基本でありました。
征韓論の時代に話が飛びますが、朝鮮では守旧・過激な鎖国攘夷の大院君から閔氏に政権が移ろうとしているころです。大院君は1873年に失脚します。1860年北京条約で清が外満州を露西亜に譲渡し、歴史上初めて朝鮮と露西亜は国境を接することになりました。フランス人宣教師やアメリカの武装商船がやってくるといったように、朝鮮をとりまく対外情勢は激変し、それが朝鮮の政局の激動と混乱の原因となっていくのです。

話が長くなりすぎましたが、日本だけを見ていても駄目です。もっと視野を広くもってください。鎖国か開国かなどと当時の日本人の世界観に合わせる必要はないのです。その頃、朝鮮をとりまく対外情勢がどう変わり、朝鮮の政局がどう動いていったかを知ってください。それは、ここでは説明しきれないことです。明治政府がやろうとしなかったことを質問者さんに求めるのは酷だろうか。

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