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浄土真宗ご僧侶に質問です。阿弥陀如来はどのような存在なのでしょうか? 現代と...

hat********さん

2010/6/2614:29:50

浄土真宗ご僧侶に質問です。阿弥陀如来はどのような存在なのでしょうか?
現代と違って、昔の人に理解できるように人格化させたということはありませんか。方便法身とはどういうことですか?

阿弥陀如来様は、立像のように金ピカな姿でもないし、絵像のような姿でもないのではないですか。色も形も無い仏法そのものを仮に形に表現したもので、宇宙とも違うし、人とも違うし・・・。現代人に分かるように解説していただくと有難いです。それと、浄土についてですが、阿弥陀経の中では七宝の池があり、八功徳の水、池の底には金沙、四辺の皆道は金・銀・瑠璃・玻瓈をもって合成する・・・、きらびやかな情景が説かれていますが、ひっかかるのは西方浄土です。親鸞聖人の真意は実は、この穢土が浄土であり、浄土とは迷いの無い世界のことではないのだろうかと考えてしまいます。そうでないと、あまりにもおとぎ話のようで、しっくりいきません。絶対他力はこの知恵袋を通じて理解が深まりました。阿弥陀様とは形があるのですか?立像や絵像のようなお姿と考えれば良いのですか?浄土和讃に「一切の功徳にすぐれたる南無阿弥陀仏ととなふれは三世の重障みなながらかならず転じて軽微なり」「~この世の利益きはもなし~」と現世利益を思わせるものもあります。関東の日蓮が「念仏無限(地獄」と辻説法で言ったことは有名なことですが、日蓮は釈迦のみ実在して、阿弥陀如来および西方浄土は架空のものとして、表面的な理解で過激な言動行動をしてしまったのではないでしょうか?私は今でも曹洞宗ですが、神棚も一緒にありますし、教えも訳が分かりません。以前は何かあったら神頼みでしたが、今はすべて仏様にお任せするようになり、仏がいつでも救いの手を差し伸べてくれていると思うと、何故かすべてのことに全力で頑張ることができるようになりました。以上、文面が長く一部逸脱したところもありますが、ご回答いただきたくよろしくお願いいたします。

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ID非公開さん

編集あり2010/7/310:32:47

再追記
仏教は仏説教であると同時に、成仏教です。
さとりを目指さないということは、自利利他の円満を放棄したことに等しい。

特定の人間に、しかも見るという感覚しかあたえることのできない仏は真理ではなく、私は馬鹿だから太陽の光が届かないと言っているのに等しい。
「貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。
たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。」(正信偈)

追記
私の功徳であれば菩薩に60億の段階があるかもしれませんが、弥陀法は阿弥陀仏の功徳で往生する法です。
それこそ、聖道門と浄土門を混同されています。

弥陀はその本願で一切衆生を弥陀浄土に往生させると誓い、その願行の功徳を一切衆生に回向して仏と成った仏です。
私が浄土に往生する功徳が法蔵菩薩の功徳なら、仏に成るのも法蔵菩薩の功徳です。
なぜならば、法蔵菩薩はその功徳で弥陀浄土の阿弥陀仏となっているからです。
法蔵菩薩の功徳があって、弥陀浄土という温室に入れば華開かない種はありません。
往生するのも、成仏するのも弥陀の功徳、往生するけど功徳が足りず成仏しないというのは不信であり、私の功徳の足りないところを仏にカバーしてもらおうという聖道門の往生です。

人間に生まれるのは難しい、だからこそ、生まれがたき人間に生まれ、遇いがたき仏法にあった今こそ、生死を離れ仏と成る道に帰依しなければなりません。
申し訳ないが、また人間に生まれることができれば御の字という発想は仏教ではない、そんなことでは成仏できないのは当たり前、外道の教えです。
弘法大師がそのような教えを広めるのであれば、きっと沈空の難を超えることができなかったのでしょう。

以上追記

弘法大師はもっとも修行を積まれた僧の一人ということは尊敬に値しますが、残念ながら仏には成れなかった。
そこで56億7千万年後、弥勒菩薩が下生するまで死なない行に入られた。
ですから、いまだ弘法大師の年忌法要は行われていません。

それも一つの方法かもしれませんが、残念ながら私には死なない修行には耐えられません。
そこで、浄土教です。

凡夫と仏の間には隔たりがあるのですが、釈迦在世の時は釈迦がそれを渡していました。
釈迦が入涅槃の後、釈迦の変わりにその間を埋めるのが浄土教です。
ですから原則往生法で、成仏法とはちょっと違います。

間を埋める浄土教ですから、そこには範囲がありそれを超えることはできません。
私が凡夫のまま浄土に往生はできません。
仏がそのまま穢土にやってくること、あるいは穢土を浄土にすることはでいません。

親鸞聖人は往生法である浄土教を成仏法に近づけた、凡夫のまま浄土に往生できないのですから、往生すれば即時に成仏するという道理です。
往生イコール成仏ではなく、往生すれば間髪入れずに成仏するというところに、浄土教の範囲が残ります。
浄土教である限りは、この範囲を超えることはできません。

穢土が浄土になるということもできないのです。
穢土が浄土になればどうなるか、凡夫が浄土に存在するということになります。
凡夫のまま浄土にあれば、そこから前には進もうとしないという問題があります。

菩薩位の47位に沈空の難という大きな問題があります。
それまでに六波羅蜜の主となり、ここで空を悟って仏と成ったととどまってしまうのです。
そこでこの行者の修行は失敗に終わります。

穢土が浄土となれば、凡夫は満足してとどまり、仏と成すことができません。

たとえば、日蓮教の方々はこの世が霊山浄土だと言われる。
その結果は同じことを繰り返し、自らは革新しようとしないよく見る光景です。

さとりは人の革新だと考えていますが、人生でただ一度革新をするというのではなく、常に革新し続けるというものです。
その革新を促すはたらきが阿弥陀仏だと考えています。
ですから、念仏の行者の今は次の刹那革新する前段階、正定聚の位です。
今はこの範囲を超えることはできません。

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non********さん

2010/7/301:21:39

文字数制限の為上記削除。
金剛界曼荼羅は智慧の曼荼羅で、時間と空間を超えて本質的命が発現する壮大な智慧の世界です。
金剛界曼荼羅では
《大日如来》が説法をしながら中心の羯磨会から外へ回転しながら動き、また外から同じく回転しながら中心の羯磨会へと至ります。

我々の娑婆世界は時空の統一された完全なる世界&悩み苦しみのない

〈仏の世界〉=〈涅槃の世界〉=〈声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界〉
から生まれた物質世界=娑婆世界になります。
宇宙の姿は密度の高い中央から外へ向う光のエネルギー体の姿で
図化すると光の中心である《大日如来》が外へ向かって動き、流出する
胎蔵曼荼羅の姿であります。
しかし その宇宙の仕組みは人間の身体の中にも宇宙の縮図としてあらわれてます。
これを九つの会として図化したものが
金剛界曼荼羅です。
金剛界曼荼羅の中でも特に「五大如来」といいまして下記の金剛界曼荼羅画像のように
中心=大日如来
東方=阿~如来
南方=宝生如来
西方=阿弥陀如来
北方=不空成就如来
を特に尊崇します。

阿弥陀如来様は修行を積んで悟りを得れば金色に見え、喋る個別の仏様になります。
普通に喋ります。
浄土の様子は
空には五色の雲が流れ、その雲の隙間から仏様が姿を現して法を説いたりします。
法要に似ている集まりみたいなものもあります。基本的には浄土に往生した人は諸仏諸菩薩の下で仏道修行をしております。
この曼荼羅世界は十方世界と同じであり、
さらに地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界のあらわれでもあります。
これらの実相=《空》
を厳しい修行によって把握出来るのが本来の僧侶であります。
真言密教の高僧は現在でも確認しておりますが
日本では実相が把握出来る僧侶は顕教では皆無になりました。
と言いますか顕経ではまず不可能です。
このように仏様、菩薩様は数多く実在されます。
※《大日如来》
「偉大なる遍く一切を照らすもの」
大日如来はあらゆる諸仏諸菩薩から、あらゆる一切の現象までが抱摂される
《法身仏》であり
宇宙の有りのままの如実相に基づいて根源のエネルギー〈空〉が存在し働き、宇宙を構成しているさまであり
この〈空〉による真如の展開は宇宙の現象一切について述べられており
個としての人の生き方においても《調和》!を保ちつつ、宇宙の有りのままに生きる=法を守って生きる事が人間本来の生き方であると説かれます。
最後に日蓮聖人の教義ですが末法説がまず間違いです
釈尊入滅は紀元前483年。これはアレキサンドロス大王がインドに侵攻した年がハッキリ分かっている為に釈尊入滅の年は99.99%間違いありません。
よって末法は1517年からになります。

※末法があればの話ですが…

真言密教では末法説はとっていません。

天台の五時八教も当時は経典7000巻が全部
釈尊の仏説と思われた為で
実際に釈尊は一文字も書いておられません。
法華経は入滅後550年~1000年に編纂されました。
仏説がほとんどとは思いますが7000巻全部が仏説とは限らないのです。
上記の仏様が高僧を通して編纂された経典がほとんどですが釈尊仏説は小数です

念仏無間も日蓮聖人が文章修行だからです
経典で教義を立てると矛盾が必ず生じます。

仏教は生きるか死ぬかの厳しい修行をし、実相を把握し悟りを得ないと真実の仏教教義は立てれません。
その意味では弘法大師空海様は日本でもっとも修行をした高僧である事は間違いありません。

阿弥陀如来様は浄土に実在されており個別の慈悲、智慧を持つ仏様になります。
追記=ZX6rrさんへ
残念ですが空海様は即身成仏されました、これは師に確認しましたし今でも時々、出現されます
死なない行は高野山の宗派でしょう
残念ですが檀家制度のある真言宗は実相は無理と思います
釈迦の橋渡しも間違いです。あくまでも本人次第です。
往生される方は死後、三途の川に仏様が来迎されます、往生は声聞界~で成仏は空海様クラスでないと無理です。
往生と成仏が混同されてます
例えば人間界だけでも60億人いれば60億段階あります
声聞界でも同じです
次に縁覚→菩薩→仏です
段階があります
ですから まず声聞界が目標になりますが10万人に1人と言ってもよいぐらい厳しいです
往生して凡夫が仏になるような事は天地がひっくり返ってもありません。
いいじゃないですか?
次は人間になれれば御の字だと思いますが?

ですが
人になれるのは難しです。
再追記=何何門、何何門は関係ないんですよ
仏教は仏の教えです
仏様が南無阿弥陀仏をとなえるだけでは往生出来んとおっしゃるから私は伝えてるだけです
文句は阿弥陀如来様に言って下さい
阿弥陀如来様の慈悲は一定→凡夫の蓋=煩悩があれば慈悲は届きません

文字数制限の為上記削除。...

tya********さん

編集あり2010/7/323:32:12

このカテゴリーの醜い罵詈雑言と衒学趣味に辟易して遠ざかっておりました。
久しぶりに覗いて見れば、あなたのご質問に出逢いました。
あなたも久しぶりのご質問のようですね。


さて、以前もお話致しました通り、阿弥陀仏は法そのものであって、色も形もございません。
色も形もない法だからこそ、一切の現象(精神作用も含め)を貫き働いているのです。

「存在」と思うから迷うのです。
浄土や穢土もこの世とは別に、或いはこの世のどこかに実在する場所であるかのように考えるから分からなくなるのです。

阿弥陀経典ほか大乗仏典の描写は誇張好きなインド或いは中国独特の表現であり、衆生に興味を持ってもらうためや経典の権威付けのためのものですから、それらの表現そのものに囚われる必要はありません。
まして、それらを実在の世界と捉えてはいけません。

と同時にただの空想の世界と捉えてもいけません。
「あまりにお伽話のようで」とおっしゃいますが、ではお伽話は架空の話だから取るに足らないものなのでしょうか?

論理的に話すよりも詩的に、或いは物語の中で話す方がより直接的に、より深く多くのことを伝えることが出来ます。
誤解を招いたり、余計なものまでついてきたりもしますが・・・。

お伽話が実際にあった話かどうか、それはさしたる問題ではない筈。その話が指し示すものが何なのか。
大切な事はそれを受け取れるかどうかではないですか?
経典だって同じです。

頭の中でごちゃごちゃ「この受け止め方が正しい」「それは間違いだ」云々言うよりも、教えに触れてその人が一日一日をどう生きるのか、どう信仰するのかではなく、どう生きるのかが大切なのです。


>今はすべて仏様にお任せするようになり、仏がいつでも救いの手を差し伸べてくれていると思うと、何故かすべてのことに全力で頑張ることができるようになりました。

それで良いのではないですか?
気負いなくただ直向きに生きることに安らげるなら、それ以上に何が必要なのでしょうか?


あなたのこの問いが単に教学に対する知的欲求ならば、別段問題ありません。
そうではなく、この問いの奥にあなたの迷いがあるのだとしたら、それを見つめてみませんか?


何故「私」は問うのか。その問いを通じて一体「私」は何を得よう、何を埋めようとしているのか。
答えは問いの中に、あなたの中にある筈です。

puk********さん

2010/6/2914:41:49

真宗大谷派の門徒であります。

と回答の前に、ちょっとだけ、shamosikaさんへ私信を
「念仏」、「日蓮」とキーワードが揃うと・・・・彼がやってくる!

以上、私信でした。

さてさて、方便法身は、shamosikaさんの言われるとおりです。
阿弥陀如来は法であり、形がありません。しかし、人々に判り易く、その御姿を顕わしたものが絵像であり木像であります。
そのため、方便法身は真実報身とも言われます。
報身は、形のない法身の仏が、人々の苦しみを救うために形をあらわしたものであります。
そのため、阿弥陀如来そのものは、法=真実であるため、方便法身は真実報身とも言われます。

もっとも、キリスト教でも、神の本質が「愛」としています。もっとも、愛は形も姿もないですが、旧約聖書の中で神は自分の姿に似せて人を創造したとあるように、受け入れがたいものではないでしょうか。
まぁ、それでいいのではないのかなと思います。阿弥陀如来の形もなく目に見ることもできない姿を受け入れ理解すると言われても、なかなか難しい事でありますので、真実へ近づける方法として方便があるわけですから。

で、ここからshamosikaさんから大谷派の味わいだと言われそうな回答になりますが・・・

〉ひっかかるのは西方浄土です。親鸞聖人の真意は実は、この穢土が浄土であり、浄土とは迷いの無い世界のことではないのだろうかと考えてしまいます。
shamosikaさんが「穢土=浄土」であると大谷派では捉えていると考えられていると回答がありましたが、それは、ちょっと違うかな・・・と思います。
そうしてしまったら、zx6rr_ultimateさんが言われるような、「穢土が浄土となれば、凡夫は満足してとどまり、仏と成すことができません。」という矛盾にぶつかりますし、「穢土=浄土」であれば、これでは浄土教からかけ離れてしまい、浄土真宗ではない新宗教ということになってしまいます。

「浄土とは迷いの無い世界のことではないのだろうかと考えてしまいます。」
そうですね・・・煩悩がない、それゆえ迷いがない世界ということになります。
ただ、大谷派でいえば、それは極楽浄土とは「真実の象徴」ということになります。
ちょっと難解な話になるので、やや簡略して説明すると、阿弥陀経によって極楽浄土の世界が伝えられましたが、
しかし、我々がいる世界はどうなのか?といえば、穢土に変わりはないのですよね。

大谷派の僧侶、曽我量深さんは、「浄土は言葉の要らぬ世界である 人間の世界は言葉の必要な世界である 地獄は言葉の通じない世界である」と法語を残されました。
我々は生きていく上で、言葉が必要でありますし、時として言葉が通じず争うときがあります。
逆説的になりますが、それゆえ、言葉が不要な世界である浄土が、この穢土ではないことは明らかではないのでしょうか?

煩悩が多く、人々が争い、罪の絶えない・・・それゆえ、この世界で生きていくことは苦しいことであります。
それと同時に、我々が煩悩深く罪因多い存在であることが、浮き彫りにされてきます。
当然、生きていく上で苦しいわけでありますから、人間は煩悩を抱えながらも真実を求めようとし、自分の生き方や考え方を問い続け省み続けることを求められるわけであります。
それが、shamosikaさんが言われる「歓喜と慚愧」であります。
その「歓喜と慚愧」が心の中にもたらされるゆえに、煩悩を抱えながら往生の道を歩むことができるのであります。

〉現世利益を思わせるものもあります。
上記のように、現在の生き方が問われているわけです。shamosikaさんが言われるような「私が変えられる」ということこそが、現世での最大の利益であるわけであります。
これは、一見なんてことのないように思われますが、もっとも、大事なことではないのでしょうか?
なぜなら、己こそが優れ正しいと執着し、私たちは時として人と言い争い、人を傷つけます。それは、己の悪を省みることを忘れていて、様々な悩みや問題を解決することを難しくしているのではないのでしょうか。「善人ばかりの家では争い事は絶えない」「自分が変われば相手も変わる」という言葉があります。
まずは、自分を省み続けること、これが生きていく上で不可欠なことではないのでしょうか。

〉阿弥陀如来および西方浄土は架空のものとして、表面的な理解で過激な言動行動をしてしまったのではないでしょうか?
私もそのように思っていましたが、法華経の中には、阿弥陀如来は出てきます。それゆえ、阿弥陀如来そのものがフィクションとしてしまうと法華経の一部を否定してしまうことになります。浄土教で言われるような阿弥陀如来や極楽浄土はないという意味であって、そのような意味で、架空と言われているわけです。ただ、それを理解されている法華経の帰依者も少ないのも確かであります。単にフィクションであると思っている方が多いのも確かです。

sha********さん

編集あり2010/6/2900:39:07

↑↑のzx6rr_ultimateさん・・・深い、なるほど、そうでしたか。しかし深い。

曹洞宗ですか・・・そういえば先日相田みつを展に行ってきたのですが、禅在家信者の相田氏は、なぜか不思議な事に「親鸞聖人」についても造詣が深かったのが印象的でした。

話を戻して、回答出来る事だけ回答いたします。まず結論は、経説を色々聞き、読み、学び、みつめ、考えて、その後「何が自分にとっての道か」・・・お決め下されば善いと思います。

>>阿弥陀如来はどのような存在なのでしょうか?
>>立像や絵像のようなお姿と考えれば良いのですか?
法そのものです。姿については有形ではありません。ナモアミダブツの声となって届いている、また響いている・・という事です。無形の存在を人間に分りやすく示された姿=有形で表されたのが「方便法身」の絵像、木像です。

※阿弥陀経の表現は即ち、衆生への方便です。阿弥陀経の多くの表現は、阿弥陀仏が示すべき真実へ導く為の「仮の姿」の部分が多く語られている・・・と解釈しております。

※現世利益はあります。ごほうび的な意味ではなく、そのように「私が変えられる」となります。「歓喜と慚愧」であり、また現生十益となります。

>>日蓮は釈迦のみ実在して阿弥陀如来及び西方浄土は架空のものとして
>>表面的な理解で過激な言動行動をしてしまったのではないでしょうか?

「阿弥陀如来及び西方浄土は架空・もしくは方便として」日蓮教学の方々は、その理解と見解です。また「過激な」事になった一番の原因は日蓮聖人ご在世の頃の念仏について(特に関東において)念仏信者側の「誤った理解と信仰」があったろうと私は推測します。少なくとも実際には日蓮聖人は法然上人とお会いして、法然上人以降の浄土教教義について論議、確認する機会は有りませんし、その後の親鸞さまとも論議にて確かめる機会も無かった事は事実です。現代の私達からすれば大変残念な事ですが。

>>阿弥陀様とは形があるのですか?
形自体は「法」です。または南無阿弥陀仏の響きとなって・・・私に届くお念仏になって・・・だろうと思います。

>>親鸞聖人の真意は実は、この穢土が浄土であり、
大谷派では、その方向のようです。「穢土=浄土」。信心決定後はこの世が浄土になる。またこの娑婆で浄土と迷いの無明とが有る。信心決定後と前の違い・・・という事のようです。

>>浄土とは迷いの無い世界のことではないのだろう
そのようです。無明の無い(終った)世界だろうと思います。ソレを人生後として捉えるか、人生中に捉える・・・の違いがあります。


◆hatrenakaiketsuさん、失礼ながら一寸、私信で使わせて下さい(私は私信利用常習者でして、すみません)

ご縁深きkattkoiihitodaさん、「ではこの悟りは何か。具体的に、何をどう悟ったのか」についてコチラに迷惑にならぬよう、また自由に書き込めるよう別板を立ち上げました。上記以外に何かしらの意図はありませんので、宜しければ書き込んで下さい。或いは見るだけでも結構です。一応BAは投票、もしくは「話」自体終れば質問そのもの削除とも考えております。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1242841707

kat********さん

2010/6/2707:47:36

日蓮大聖人の教えでは、次のように浄土も穢土も差別などなく、また、衆生も仏も同じ人間であると教えられています。
考えさせられる御書ですね。

一生成仏抄 384ページ
衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、

仏教について分かりやすく説明します。

インドに実在した釈迦は、浄飯王の王子でしたが、難行苦行に出るというので、王は五人の仲間を付けて修行に出しました。
当時の修行法は、石の上に座って断食したり、空腹のまま何日も思索するというような、今考えればムチャクチャなものでした。

このような十二年間の修行では悟れず、人生の問題とか、世界観の問題を思索するには体力がないと、思考する力も失ってしまうと、ある娘さんが持ってきた牛乳のお粥を受け取り食べました。
それを見た五人の仲間は「王子は邪道に落ちて断食を中断した。こんな者と共にいられない」と、立ち去りました。

釈尊は程よく食べ、眠り、真面目に人生を思索しました。
いろいろな難問題を考察していくうちに、ある朝、丑寅の時刻「今で言う真夜中」に、天の一方に明星が輝くのを見ました。
その、きらめいた瞬間に、ハッと、悟りました。
これを仏法では、刹那成道と言っています。

もう修行の必要は無い。
どんな方法で、この「悟り」のことを、人々に教えようかと、さまざまな教えを説いてきたのです。
人々に教えを説く時に、いきなり「悟り」を説いては誰も理解する事ができません。

塔を組み上げるためには、足場がいるように、真実の教えを説くために方便の教え、仮の教えなどを説いて、少しづつ人々を真実の教えに誘引していったのです。


では、この悟りは何か。

具体的に、何をどう悟ったのか。

これを、日蓮大聖人以外の人は知らないので、難しいことを言って人々を煙に巻いて騙しているのです。
だから、騙されてはいけません。

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