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実は徳川綱吉は名君だったという説がありますが本当ですか?

nin********さん

2010/7/1023:13:37

実は徳川綱吉は名君だったという説がありますが本当ですか?

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p_m********さん

編集あり2010/7/1416:09:34

塚本学氏の綱吉の伝記『人物厳書 徳川綱吉』の結論である、「理想主義者で小心な専制君主」という評価が適切でしょう。

実際、俗説のイメージを取り払って冷静に業績を見返すと、初期の「天和の治」に限らず、かなり意欲的な改革政策を多岐にわたって実施し、成果を挙げています。

財政面
・大規模な再検地
・代官を、土着の世襲役職から、中央から派遣する官僚に改革
・勘定奉行所の地位引き上げと機能強化

政治・人事システム面
・老中合議制化していたシステムから、将軍権力を回復
・柳沢吉保、荻原重秀を筆頭とした、門閥にとらわれない有能な人材の登用
・元禄の地方直し
・大名、幕臣への厳しい統制

海外貿易面
・貿易額制限の設定
・長崎会所の設立

文治政治
・儒教、仏教の幕府による振興
・朝廷尊重と統制
・物忌令

綱吉の二大悪性と扱われていた、生類憐みの令と貨幣改鋳も、近年では評価が大幅に好転しています

・生類憐みの令:まだ戦国の暴力的な気風が無視できないほど残っていたのを、一掃する政策
・貨幣改鋳:インフレ率は実際には一年で3%の健全レベル。経済成長に即した貨幣量の供給。


綱吉以前の政権の実績の積み重ねもありますが、綱吉の時代は江戸時代の経済成長がピークに達し、庶民の生活水準も大きく向上した時代でした。



ただ綱吉の問題は、あまりに露骨に専制君主としてふるまったことにあります。こうした政策を世論や政権内への配慮もなく権力に任せて実施し、多くの免職者や処罰者も出し、また認めた人材に対しては過剰なまでに優遇を与えました。
こうした態度が反感を呼び、これだけの政治的業績があるにもかかわらず、綱吉の評判を悪くしていました。
善政といわれている「天和の治」も当時の幕臣からの評判は厳しすぎ散々で、『御当代記』では「綱吉の時代では、役目に任命されると、毎日家族と死に別れるのを覚悟するぐらい気分だった」といわれています。
また、綱吉の治世の最後には、大地震、大津波、富士山噴火といった大災害が連続発生。綱吉や幕府にはどうすることもできない自然現象ですが、当時の人たちには「綱吉の不徳による祟り」と思われてしまいました。
また綱吉の後の家宣の側近で、江戸時代を代表する天才学者新井白石が、綱吉政権への誹謗(と自分の政権への自画自賛)を自伝などで書きまくり、それを後世の人たちが「天才学者の白石の言うことだから」と疑いもせずに真に受けてしまったこともあります。

質問した人からのコメント

2010/7/14 21:00:01

成功 皆様ありがとうございました。誰の言ったか忘れましたが「いい人であることと、優れたリーダーは違うものだ」という言葉を思い出しました。改革者は理解されない、露骨な専制君主というのも、なるほどと思いました。

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yai********さん

編集あり2010/7/1105:15:17

本当です。

「綱吉」が治世を行った「元禄」時代は
「江戸時代」の中でも「経済発展」を1番遂げた時期でもあり
「紀伊国屋文左衛門」「奈良屋茂左衛門」などの
「大豪商」を生み出し、
「食事」が「三食」になったのもこの時代からで
その経済発展から
「江戸」の「野犬収容所」を作れるほどになっていたのです。

また、その「治世」で「文化」が大躍進を遂げ
「歌舞伎」「浄瑠璃」が隆盛を極め「松尾芭蕉」も輩出し
「水戸黄門」が「ラーメン」「餃子」を食べ、
「旅行」をしまっくています。
「鰻丼」もでき「寿司」もこの時代に完成し「グルメブーム」到来に
「奥の細道」など「旅行ブーム」も起きています。

また「犯罪」に対しては極めて厳格で
「松の廊下」で起きた「誰でも良かった殺人未遂事件」に対しては
相手が「殿様」の身分でも、「弁護」側の「精神鑑定」など受け入れずに
厳格に処分し、後に「47人からなるリストラされた浪人」が起こした
「60歳代老人宅への押し入り事件」も全員切腹と「法令順守」で
「平和」をもたらし、この後、こういった事件は減っています。

「鬼平」で有名な「火付盗賊改」もこの「元禄」にできています。
※それ以前にあったのですが一度廃止され復活しました。

と言うか、、、
・水戸黄門
・忠臣蔵
・銭形平次
・火付け盗賊改
・必殺仕事人

などなど現在の「お茶の間」で楽しまれる「ドラマ」の時代であり
現在にも多大な影響を及ぼした時代の「将軍」です。
「歌舞伎」も「綱吉」居なければ廃れてますよ。

どう考えても「名君中の名君」です。

「織田信長」「足利義満」など同時代の人には
悪く言われていますが「革新的」な人物を言うのは
理解されズライのです。

ref********さん

2010/7/1100:21:26

名君とまでは言えませんが、少し前までイメージされていた暗君ではないと思います。

綱吉の代名詞とされている「生類憐れみの令」ですが、ただ犬を大事にしましょうという法令ではありません。
綱吉の時代でも戦国時代の風習が抜けておらず捨て子も頻繁に行われ、犬猫などを山などに捨てる習慣も多かったようです。
その現状を止める要因になったのが生類憐れみの令でした。
確かにツバメを吹き矢で撃ったので死罪などやりすぎな一面もありましたが、病馬を捨てるなどの流行病の原因になる動物放棄を取り締まったのは画期的な事でした。
生類憐れみの令の項目は、現在では普通に法律になっていますし。

徳川綱吉の長らく低い評価だったのは、生類憐れみの令を歪んで解釈したのと、同世代に忠臣蔵・水戸黄門などがあったかもしれません

pol********さん

2010/7/1100:21:02

一般的には生類憐れみの令、柳沢吉保の登用などで暗君として知れ渡っていますが、その治世の初期には天和の治という改革を成功させています。
8代将軍吉宗も、綱吉が定めた天和令を武家諸法度として採用しています。
マイナスイメージの要因としてはドラマの影響が大きいみたいです。
水戸黄門(徳川光圀)が綱吉に直言、諌言をした記録があるため、水戸黄門の物語中では悪役にされています。
名君…とまで言わずとも今一般的にもたれているような暗君ではなく、政治、文化の面でもっと評価されるべきではないかと思います。

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