ここから本文です

「漢民族」の語源をわかりやすく教えてください。

slo********さん

2010/7/2520:50:59

「漢民族」の語源をわかりやすく教えてください。

漢民族の「漢」は王朝の名前で、漢よりも隆盛を極めた王朝もあったと思います。

また、どう考えても、地域的に漢時代には異民族の土地だった場所でも、現在の土地の人々が漢民族と名乗る場合が多い気がします。

民族の移動があったとはいえ、中国における漢族の割合が多すぎるように感じるのです(歴史的に明らかに混血化されているにもかかわらず、「漢」が優先されているように感じます)。

なぜ、漢族という呼び方をし、何を基準に漢族と自称するのでしょうか。

ウィキペディアを見ましたが、よくわかりませんでした。

わかりやすくご説明いただけると助かります。

よろしくお願いいたします。

閲覧数:
1,034
回答数:
3
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

sou********さん

編集あり2010/7/2623:53:24

漢民族と自称するのは400年続いた漢王朝の影響が甚大であったからです。慣例から見れば、秦が六国を統一した時に統治下の人々は秦人と呼ばれます。従って漢王朝では漢人と呼びます。漢は前後合わせて400年近く存在しました。その間漢は周辺の各地域に進出しており、異民族も漢の人間を漢人と長らく呼称していました。ちなみに漢族と呼称され始めるのは劉邦が皇帝に即位した時だとか、武帝の時だとか諸説紛々です。

少数民族が侵入してきて征服王朝を打ち立てましたが、漢族の官僚は依然漢代の服装を身に付け、漢代の礼儀作法を保っていたので鮮卑族等は漢族を「漢人」として認識しました。

そして漢が華夷思想と結びつく事で、礼を知れば大体漢族となります。基準は「漢族」と聴いて自分の事だなと思える人は漢民族でしょうね。因みに征服王朝が建てられるたびに漢族は「漢民族」としてのアイディンティティを意識していました。特に清朝以降は漢族に就いての意識が高まっています。

「地域的に漢時代には異民族の土地だった場所でも、現在の土地の人々が漢民族と名乗る場合が多い気がします」と仰られましたが、漢族は歴史的に見ても各地に進出しておりますし、農耕は多数の人口を支えられ、しかも子沢山こそ福と言う考えから人口が爆発的に増えます。

混血はかなりあります。私は中国人で漢民族ですが、両親の祖父母の代では明らかに苗族と回族との混血関係があります。私の母方の祖母は少数民族の容貌なんですが、それでも帰属意識は漢民族に帰しますね。上でお答えされた方が仰るとおりに華の観念はネイションとはかなりの開きがありますので、認識の差違が生じるのも当然でしょう。しかし注意して頂きたいのは漢族とは漢族の文化的伝統を受け入れれば漢族だと言う事です。遺伝子上は多民族でも、文化的意識では既に一つであると考える漢族の人々が大多数を占めています(中華とは多民族がお互いを許容しあって生存してゆくと言う側面も持っています)。日本や欧米のような強固な民族意識を持っている訳ではないですが。無論狭義の漢人は後漢の滅亡と共に滅亡したと見てよろしいでしょう。ですが民族と言う概念は文化が決定的な要素です。文化的な統合には単一の漢が象徴として最適でしょう。

質問した人からのコメント

2010/8/1 14:24:16

降参 大変参考になりました。ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

lan********さん

2010/7/2700:56:46

漢は東アジア世界における栄光の記憶となったのです。

前後500年近く続いた漢が3世紀に滅んだあと、中国大陸は半世紀に及ぶ三国動乱、弱体な晋による一瞬の統一を経て、北方民族大侵攻による凄まじい破壊と混乱の中に沈んでいきます。

隋唐まで何世紀にも及ぶ長い長い戦乱の時代。

かつて天下の全てを一つにまとめていた漢帝国は失われた偉大な古代文明の対象となりました。
中国大陸にいつか漢の統一、秩序と平和を復活させることが理想とされました。

だから、彼らは漢族を名乗ったのです。

gra********さん

編集あり2010/7/2622:44:59

漢民族というものを見る場合、気をつけなくてはいけないのは漢民族が「漢人」つまり異民族から見た夏華を名乗る人をさしていたという点です。
これは当然前漢成立時からというのはその通りですが、中華思想を受け継いだ歴代王朝は自らを「夏華人」を名乗り漢民族というものは使って無いということがあるので漢民族は外国から見た総称という性格が強いのではないでしょうか?
多分、日本人が混乱してしまう原因は漢字が表音文字では本来無いからで例えば中国史の文献で異民族が同化する前も漢民族風の名前で表記していますが同化する以前からそのような名前であった可能性はきわめて低いと考えるのが普通でこのような紛らわしい記録が中国の歴史書には非常に多いということがあります。
なので日本人の中には日本人と同じ感覚で中国人全体を見る人が非常に多いですが厳密には多民族国家であって微妙に違う人たちを全部違う名前で呼ぶのは不可能に近いので一番長い王朝の名前で便宜上総称していたのが定着しただけなのではないでしょうか?
一応漢を名乗った人たちがいなかったわけではないですが前漢が滅ぶ過程をよく見ていくと滅んでる可能性が高いです。
近代の歴史学は朝鮮史も中国史も日本人が体系化したものであり、日本人の基礎研究が基盤になっています。
だからこういった問題が出てきてしまうように思います。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる