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【集団戦法?】南北戦争などの戦争映画を見ていると、兵隊が列をなしていますよね...

tomi_o2222さん

2010/10/1701:15:59

【集団戦法?】南北戦争などの戦争映画を見ていると、兵隊が列をなしていますよね。あんなことしたら、敵の標的になると思うのですが、何であんな戦い方をするのですか?

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cider_kondoさん

編集あり2010/10/1715:38:45

南北戦争がちょうど境目となる戦争でした。
それまでの戦争で主力として使われていた武器であるマスケット銃はきわめて命中精度が悪く、適切な発砲距離とは
「敵の、白目と黒目が見分けられる距離」と言われるほどでした。
ですので、ナポレオン戦争の時代であれば、兵士たちはきちんとした隊列を組み、堂々と前進していきました。この時代にそれに対応する方法は大砲を撃つことぐらいですが、大砲の弾も単なる丸弾で炸裂するわけではなく、効率的に隊列を崩せるものではありませんでした(使い方次第ではもう少し効果的になりました)。

南北戦争と前後して、銃身にライフリングを切って、飛躍的に命中精度の上がった銃器が普及していきます。結果として、言われるように敵の標的になる現象が起きます。ですが、両軍の指揮官とも、この状況をなかなか認識できません。
いくつもの会戦で南北両軍とも、正面攻撃を行った部隊が大損害を受けるという現象が発生します。
天王山とも言うべきゲティスバーグの戦いでも、最期に正面攻撃を行った南軍部隊が壊滅的な打撃を受けて終わっています。
この光景は第一次世界大戦で遙かに大規模な形で繰り返されます。機関銃や鉄条網が投入され、銃器の射撃速度が上がったことで遙かに破滅的な結果になりました。このため、最終的に塹壕を挟んでにらみ合い、戦車や飛行機のような新兵器が投入される、という形に切り替わりました。
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歴史的な発生の経緯をもう少し追加しておきます。銃器が登場した当時、ヨーロッパ諸国の軍勢は基本的には傭兵的な軍隊であり、監督者が目を離すと勝手に脱走兵になってしまう恐れのある、扱いの難しい軍隊でした。ですので、逃げ出せないようにするにはどうすればいいのか? ということへの解答が、隙間ない隊列を作って戦わせることでした。さすがに前後左右に兵士がいたら逃げるのは無理ですよね。銃器の精度が悪いこともあって、これが一番有効な方法となりました。ですので、当時の用兵家はみな、隊列を維持させる訓練と射撃を継続させる訓練に大変な労力を注ぎました。

この当時の戦いは、対峙した両軍が撃ち合って、撃たれたところには穴埋めに補充が入り、先に心が折れた方が隊列が崩れて負けとなります。隊列が崩れて逃げ出した側を、勝者が騎兵とかまで投入して追撃して大損害を加えます。被害の大部分はこのときの退却と追撃によって発生し、実際に銃撃戦の段階で倒れる兵士はそれほど多くありませんでした。

アメリカ独立戦争の時に多少変化が生じます。独立側の兵士は「独立」という抽象的な目標に対して戦える、つまり近代的な意味での忠誠心を持つ人たちであり、隊列を組まなくてそうそう脱走しない人たちでした。そこで、散兵戦術というものが生まれます。文字通り、隊列以外の場所にも射撃の上手い兵士を遮蔽物(戦場付近の木とか物陰ですな)の陰に散らして配置し、敵を狙い撃ちさせたのです。これが導入されて、隊列+散兵というのが一般的な戦い方になります。さすがに銃の威力が低いので隊列を廃止できるほどではありませんでしたが、逆に言うと銃の威力が上がったので、全兵士が散兵になったのが今日の姿だとも言えます。

ナポレオン戦争が終わった1815年前後の時期に、それまでの銃器の主力であったフリントロック式のマスケット銃に技術革新が始まります。産業革命による加工精度の向上や生産力の増大の影響なのですが、いろいろあった末に、ようやく大量の銃の銃身に螺旋溝(ライフリング)を刻んで弾道を安定させられるようになります。実はライフリングがあると弾道が安定して精度が増すというのはかなり以前から分かっていたのですが、何万や何十万という数が必要な銃器すべてに効果的に刻む方法がなかったので、導入が遅れていたのです。
ところが、ナポレオン戦争が最後の大戦争だったため、この新しい武器に対応するために戦法の開発が大幅に遅れます。クリミア戦争、ドイツ統一戦争、イタリア統一戦争、南北戦争、日露戦争などが起きますが、結局百年後の第一次世界大戦まで、列強は戦法の根本的な変更を行わず、結果として大変な出血が戦場で発生しました。

質問した人からのコメント

2010/10/23 08:38:49

なるほど!!そういうことだったのですね。長年の疑問が晴れました。どの方の回答も非常に勉強になりベストアンサーは迷いました・・・。なるほどね~。

ベストアンサー以外の回答

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thsbhsevenさん

2010/10/1718:44:34

簡単な事です

当時の銃の性能が現在と比べて大きく劣っていたからです

列をなして戦う歩兵を「戦列歩兵」といいますが、槍にかわってマスケット銃と銃剣が歩兵の主装備となって職業軍人の優位が消滅した三十年戦争の頃から各国軍で一般的に編成されるようになった兵科です。

傭兵として長い歴史のあるスイス傭兵や、ヘシアンのような公募された傭兵(多くの場合、多額の債務を負った者や犯罪者によって構成されていた)や、徴兵された一般人を、少数の専門家による比較的短い期間の訓練によって大量に戦力として養成できる利点から、広く世界中で採用される歩兵運用方式となりました。

このような戦法が有効だった背景には当時の小銃の射程が有効殺傷射程が50m程であり命中率も極端に低かったからです。

南北戦争中頃に銃砲が飛躍的に発達してミニエー式小銃と近代的な後装式の砲が出現すると、戦列歩兵の密集陣形と派手な威嚇色を使った軍服は遠距離からの射撃の良い的となって死傷者が激増したため、歩兵の運用は密集を避けて周囲の環境に隠れながら行動できる散兵が中心となり、戦列歩兵は急速に戦場から姿を消していきました。

それでもこういった戦列運用は南北戦争後も使用され続けます。

日露戦争までは普通に運用され続けていましたがこの戦いで本格的に投入された機関銃の前に戦列戦法は大量の被害を出し塹壕戦が導入されました

第一次世界大戦でも当初は日露戦争の戦訓が活かされず両国とも戦列戦法を行った結果同じように機関銃の前に大損害を受け塹壕戦に移行、西部戦線での激戦となりました。

第一次世界大戦初期まで歩兵の戦いはそういった戦列運用があたりまえだったんです

2010/10/1712:40:46

横列を形成することで、目標(敵)までの距離が等しい兵士の数が増えます。横列ではなく、あちこちに散らばった散兵に比べて、
攻撃力がアップします。砲撃の威力が低く、機関銃の導入前の時代は、横列にしたからといって、大打撃を受けるわけではないので、被害率と攻撃力との兼ね合いで、横列戦術が採用されたのでしょう。

銃火器の発生以前は、歩兵が密集隊形で、横列を前後に何列も並べた長方形のような形に配置された歩兵が突撃を実行しました。単純に考えて、兵士が密集しているほうが、攻撃力がアップするからです。しかし、銃火器が発生した時代に、このような隊形で突撃すると、隙間なく埋め尽くされた肉の壁が進んでくるようなものですから、誰かに必ず銃弾、砲弾が命中します。

したがって、火力の発達に応じて、兵士の戦術は変化しています。現代では、火力の発達が著しく、機関銃や手榴弾、迫撃砲や歩兵用の携帯式グレネードなど、兵士同士が少しでもまとまっているとすぐに壊滅的被害を受けるので、散兵戦術が採用されており、歩兵同士が横方向および縦方向にかなり間隔をあけています。また、火力の向上により、分散していても、目標(敵)に十分な火力を提供できるのです。

歩兵戦術というか、歩兵の密集の度合いは、火力の大きさに応じて変化しています。

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