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2005/7/23 8:04

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一石とは!どの位のお米の収穫量になるのですか?また領地、面積だとどの位の広さですか?よく十万石大名と

一石とは!どの位のお米の収穫量になるのですか?また領地、面積だとどの位の広さですか?よく十万石大名と 一石とは!どの位のお米の収穫量になるのですか?また領地、面積だとどの位の広さですか?よく十万石大名とか。領地の面積検討がつきません。教えてください。

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2005/7/23 9:05

●一石とは 江戸時代、米の量を表す単位として「石」という単位が使われました。 現在での換算 【1石とは】・・●1石=10斗(100升)(150kg)●1斗=10升(約15kg) 一石=2.5俵で米の重さで言うと150キロになります。 15万石は、約22500トンの米が獲れたことになりますので・・・ 10万石大名では、約15000トンの米が獲れたことになります。 中でも幕政に連なる譜代大名で、10万石以上の領地を保ったのは石高二十万石以上の藩は二十二あり、一万石から五万石未満が百二十六藩、45.6%。一万石が五十一藩で18.5%。すなわち五万石以下の藩で、全体の約60%を占めていたようです。 大部分が5万石未満であったようです。 国持二十藩とは、加賀藩、薩摩藩、仙台藩、熊本藩、福岡藩、広島藩、長州藩、佐賀藩、鳥取藩、津藩、福井藩、岡山藩、徳島藩、土佐藩、久留米藩、久保田藩、南部藩、米沢藩、松江藩、対馬藩などで、いずれも大藩です。 http://www3.coara.or.jp/~primrose/nomin08.html         http://homepage2.nifty.com/zatsugaku/zatugaku/990606.html

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2005/7/23 12:41(編集あり)

量に関してはすでに出てるように米100升。 つまり150㎏で基本的にその耕作面積は当時平均約1反(300坪)。 勿論、江戸時代(中期以降)でも飢饉や豊作時を除いても1反のつき1.5石~3石程度は収穫があり(日当たり等でだいぶ差が出る)、だいたい実収穫量の半分程度を石高(課税対象)とし、村高として各村ごとに割り振ってました。 その合計が藩の石高です。 新田開発で増えても、まず幕府には届けませんでした。 様々な負担が増えるから。 ちなみに今日では、1反8俵~10俵(3~4石)くらいが一般的収穫量です。 実際には隠し田畑も結構あり、二毛作、三毛作もすでに行われていた地方もあり、裏作として麦、大豆等も作られてました。 また、逆に米は一切作らず、麻、綿などばかり作る田もあったそうです。 10万石なら、今の人口20万ほどの地方都市程度の領地かな。 藩により事情が違うので一概には言えませんが。

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2005/7/23 9:27

量や重さについて、すでに上の回答者様達が回答されていますが、一石とは当時の人たちが、一人あたり一年間に食べる量だということを聞いたことがあります。 あと、石高と領地面積は比例しないと思います。肥沃な地域の10万石と開墾を必要とするような地域の10万石とでは、面積の比較に成らないと思います。 加賀100万石は実際の収穫高は100万石以下だったそうです。

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2005/7/23 8:27

一石=二俵半の量(150キログラム) その地区の条件で大部違いますが、現在では、一反歩(1000㎡)で10俵(600キロ)位の収穫量です。 一石(150キロ)収穫するには2畝5歩(250㎡)の田んぼが必要です。 10万石=250000俵(1500トン)を収穫するには、2500ヘクタール(250000㎡)必要です。 ですが、その当時は稲作技術や農薬もない頃ですので、収穫量は今の半分位であったと思われますので、農地は倍ぐらい5000ヘクタールは必要でしょう。

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2005/7/23 8:14

一石っていうのは米俵で二俵と半分の量、重さでは一つの米俵が60kgほどなので、お米が約150kgで一石となります。 そしてこれを領地の広さにすると、お米150kg分取れる領地が一石っていう解釈になります。

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