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宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした理由は何ですか。

bir********さん

2011/3/609:58:12

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした理由は何ですか。

かなり重い理由があったのですか。
あるいは、非常に、つまらない理由で
殺し合い、になるのですか、剣豪の
果し合い、って。

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編集あり2011/3/611:44:20

当時、肥前小倉藩は後に熊本に移る肥後細川家の領地でした。
で最初に岩流兵法の佐々木小次郎が剣術指南役でしたが、後に縁があって細川家は宮本武蔵も二刀流の剣術指南役として召し抱えられます。
で二つの流派の門人がどっちの師匠が強いかで諍いを起こして師匠である二人が決闘をするはめになった。
ということが細川家の家老で門司城代沼田延元が書いた沼田日記にかいて有るそうです。

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mas********さん

2011/3/802:09:26

武蔵が小次郎と戦ったとされるれいる時、小次郎は、片足棺桶に入ってるお爺さんです。

武芸者ですので、身体を鍛えているでしょうが、立ち会いするような年齢ではないし、ふつうに考えて門弟が先に戦うのでは?

先の人が書いていますが、武蔵と小次郎の立ち会い自体が怪しいです。

小次郎の門弟と武蔵ならありえますが、流派間のいざこざじゃないですか?浪人が増えて就職難の時なので、自分の流派を売り込む為に他流派を貶めるのなんて当たり前の時代ですし。

極端な話だと、武蔵は遅れて行ったのではなく、門弟を先に潜ませていて、襲いかかったと言う話も聞いたことがあります。

就職するための殺し合いが、重いか軽いかは、当人じゃないと。勝ち方や名声で給料も全然違うしね。

2011/3/614:17:18

創作小説なんで信じる方が 愚か者です。実在しません作り話ですよ

2011/3/611:50:05

晩年の武蔵が書いた五輪書には、佐々木小次郎との決闘のことは一言も書かれていません、ということは、本当のところ、あったのかまたはなかったのかとおもいますが、巌流島というのがありそこで武蔵と小次郎が決闘したとされていますので実際にあったのでしょう。決闘のわけは細川藩の指南役である佐々木小次郎に反対する派閥争いらしいといううわさがあります、関ヶ原後の天下の情勢はいちおう平和を装ってはいますが、何かの出来事が発端となり天下騒乱になるとかもしれませんでした、全国には関ヶ原の残党やらその他得体のしれない浪人が多くてのんびりと散歩もできないくらいでした。いつなんどき難癖をつけられてお金をまきあげられることもしばしばありまこと危険極まりない世間でありました。このころ武士は武士で仕事がなく下級のものはその日暮らしでせいいっぱいであり、何か事あればという感じです。武蔵もお金はありませんでした、いわれるとおりに決闘をせざることになりました。しかし佐々木小次郎の長い刀にかてる自身はありません、しかしやらなければいけません、いっそ逃げようと考えましたがそれも仕官の口がなくなりまこと死活問題です、考えに考え、武蔵はすこし長い木刀をけずりそれで戦うことにします、作戦その2はわざと遅れていくことにしました。勝てど暮らせど武蔵はきません。頭にきた小次郎は武蔵の姿をみるとイキヨイよく鞘を捨てます。それを見たむさしはすかさず言います。小次郎やぶれたりと、更に頭にきた小次郎は、まだこれからじゃ。ばかめ、それに対し更に武蔵は勝てるものがなぜに鞘を捨てるのか?

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