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主君をころころ変えて大した手柄がない藤堂高虎を、なんで家康は信頼していたんで...

shi********さん

2011/4/1619:16:30

主君をころころ変えて大した手柄がない藤堂高虎を、なんで家康は信頼していたんですか?

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got********さん

2011/4/1622:23:31

主君たるものは家臣が仕えるに足る人物でなければならないというのが、この当時の考えです。高虎は阿閉、津田には十分に評価されなかったために辞めていますが、豊臣秀長には終生尽くしており、亡くなってからも墓を立て直したりしています。またその養子の秀保が亡くなった時なは高野山に入って武将をやめようとしました。
秀長に仕えた時に武功だけでなく大和の代官として民生に手腕を発揮しています。また築城にも手腕を見せています。
家康にはまだその先がわからない頃のかなり早くから態度を鮮明にしてますから、それは有り難く思うはずです。

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yos********さん

2011/4/1620:31:39

「武士たるものは7度主君をかえなければ武士とは言えない」という信念で誠心誠意仕えてきた自負があったからこそ大名として生き残るすべを習得したんでしょうね。
あと築城の名手です。
名だたるお城の設計はほとんど藤堂高虎の手によるものです。

old********さん

2011/4/1619:23:24

江戸時代前の武士には。主君を見限ることは恥とされていません

藤堂高虎の才能を見抜いたので。重用しました

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