何年前かな・・・。
DVと浮気などの夫と、12年間の生活にピリオドを打ち、息子と2人の生活が始まったの。
当時、阪神大震災関係の仕事をしてた私は、夕方の定時に帰ることが出来ず、毎日残業だった。
父は亡くなり母は父の会社を守っている。
姉夫婦は父の会社を継いだけど、義兄と私は昔から仲が悪いし、妹は当時まだ学生だから、誰も頼れる人がいなかった。
夫の浮気やDVに悩み5年我慢を続けた結果、息子は静かに変わってしまった。
それに気付いて離婚したものの、頼りになるのは自分だけだから、とにかく頑張った。
息子はそれを理解してくれて、夜遅くなっても待っていてくれた。
当時まだ8歳だった息子、朝起こしてくれるし、パンを焼いてコーヒーを入れてくれる。
『かあちゃん頑張っているんだから、僕も手伝う』
でも本当は悩んでいた。
仕事に没頭し、収入はあるものの息子と話もろくにしていない。
たまの休日は疲れを取るために昼過ぎまで寝てしまい、どこに出かけることもない。
参観日でも汚れた作業服で髪はバサバサのままで、きれいに着飾っているお母さん達の中に入れないし、廊下から見るしかないけど、仕事を途中から抜けているから長い時間いられない。
遅く帰って、猫を抱いて寝ている息子を見て『私は何をやってんだろう・・・』と何度も泣いたっけ。
『私は母親失格だ・・・。
息子に何もしてあげられない。
どこにも連れて行ってあげられない。
いっそ仕事を辞めようか・・・でも収入がなくなるのは今はできない・・・』
この葛藤を毎晩続けた。
又忙しくなった時期、当時のスーパーは7時閉店で、とても帰れそうになかった。
その日は細かいお金がなく、子供には多いと思ったけど、5千円渡してお弁当を買うように言ったの。
『今日も遅くなるから、ごめんね』って出るしかなかった。
疲れて家に帰ると、息子が泣いている。
『どうしたの?何があったの?』
『かあちゃん、ごめんね・・・ごめんね・・・』
『いいから、話して?』
『・・・カレー・・・』
『え?』
『カレー作ったの、でもお水入れすぎてパシャパシャになっちゃったの・・・うまく出来なかったの・・・かあちゃんごめんね・・・』
台所に行く、鍋にカレーが入ってた。
ご飯も炊けていたし、ちぎっただけのレタスと、乗せただけのプチトマトのサラダが冷蔵庫に入ってた。
抱き合って泣いた。
嬉しかった、ただ息子の思いが嬉しかった。
なんてことはない、息子はちゃんと分かってくれていた。
悩んでいたのは私だけ。
息子は誰よりもちゃんと分かってくれていた・・・。
世界で一番美味しいカレーを2人で食べた。
どんな有名店でも勝てない最高のカレー、本当に贅沢な夕飯だった。
だから私は誰より頑張れた。
頑張り続けることが出来た。
その世界では2人しか出来なかった栄誉を手に入れた。
その壇上に息子も上がらせ、息子の協力がなければ出来なかったことだとみんなに伝えた。
あの水っぽいカレーは、私が私であるために絶対忘れない。
くじけそうになったとき、私はカレーを作る。
少しだけ水を多く入れて、わざとパシャパシャにさせる。
ちぎっただけのレタスと、乗せただけのトマトも忘れない。
あの最高に贅沢な夜は過去のことだけど、それでも少しだけ思い出せる。
そして私は、又頑張れる。