犬を可愛がっています。ペットについて最近私も少し考えていたので、意見は異なりますが参加いたします。
声高には言えませんが…
ペットをとおして自分を可愛がっている、と知人が言っていて、なるほどと感じました。
何かの本で、ペットを可愛がりすぎる人は正常に病んでいる、と書いてありました。無条件に人とふれあいたいという気持ちが普段抑圧されているからだそうです。
私は動物の美しさや可愛さに敬意は感じますが、同等とは感じられません。幾重の種類の動物には、彼らの領分があるので、どんなに望んでも彼らの世界は私たちとは違うと思うからです。
なので、ペットに服を着せてる飼い主の笑顔や動物がしゃべる映画を見ると、バベルの塔を地でいってると感じ、みんな人に過度の期待はできない世界だと、私はうすら寒くなります。
また、殺処分の冷徹な目的や不可避性を考えると、自分のペットを大事にしようと私は考えるから、それでいいや。忘れよう…。この自分を守ることで精一杯の論理が、いまの私のこの問題に対する考えの限界です。
ここで、質問者さんは私の考えを改めたいと感じたとして、ネット上やある会議室や井戸端会議で、殺処分や震災後の動物問題を少しでも解決できないかと、私を含む幾人かと話をする機会があったとします。
そこでは、人の気持ちをいかに本当に理解し、ときに操れるかという政治力が必要です。問題を解決するためにそれを得るには、同じ動物でもペットだけではなく人とも同じくらい夢中に時間を過ごして、気持ちを学ばなければなりません。
なので、社会の中で動物>人間の考えを正当化したいと思ったのなら、結果的に少なくとも人前では動物≧人間となっていくのが理想だとわたしは思います。
私はこの方程式を決めかねているので、その点質問者さんは動物関係の職業が向いてるのかもしれませんね。
草々。