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アフリカ中部南部のヨーロッパ植民地以前の歴史がよくわかりません。詳しい方教え...

lak********さん

2011/8/517:59:39

アフリカ中部南部のヨーロッパ植民地以前の歴史がよくわかりません。詳しい方教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

fio********さん

2011/8/623:38:01

そうですね、このあたりの歴史は体系化されていませんね。
本来は、それぞれの国が自らの国の歴史を書き綴って欲しいところです。

エジプトの南、スーダンやエチオピアにかけては交通路の要衝でした。
メソポタミアがパルチア、ササン朝ペルシアとの交戦で閉ざされたとき、ローマと南アジアの交易ルートはこれらの地域から紅海・インド洋経由で行われました。
エチオピアはキリスト教会のひとつコプト教会が布教し、古いキリスト教国家となりました。

北アフリカから南、サハラ砂漠南部への交易ルートも南北、東西に延びました。
最初にこの交易ルートの覇者となったのはガーナ帝国。
続いてマリ帝国、皇帝マンサ・ムーサはメッカ巡礼を成し遂げています。
その後ソンガイ帝国が栄えました。
後に、モロッコ王国がアフリカ西岸に沿って南北路を制覇しました。(今も西サハラをめぐってモロッコが実効支配する根拠が、この時期モロッコが宗主権を持っていたことです。)

これらはサバンナに栄えた交易国家ですが、その南、ギニア湾岸には、ポルトガルの進出とともに、奴隷を狩り集める国家群が成長しました。代表的な国家はアシャンティ。
ヨーロッパ人へ奴隷を売り、代わりに武器を入手し、周辺諸部族を狩っていました。
ギニア湾岸で栄えたのは、コンゴ川河口地域のコンゴ王国です。
あまりに有名なこの国はその割にはあまりまとまって語られることがありません。

今のジンバブウェ地域に栄えた文明がモノモタパです。
入植した白人はシバの女王につながる国と勝手に想定していましたが、これもポルトガル人とつながる交易国家と今は考えられています。
ポルトガル人のインド洋侵入と時を同じくして、アラビア商人のインド洋、東アフリカ沿岸の交易ネットワークが形成されていました。
今のスワヒリ語普及地域です。
スワヒリはアラビア語とアフリカ諸言語の混交(ピジン)語です。

東アフリカから南アフリカにかけての高原サバンナは牛を飼う遊牧部族が次々南下していました。
マサイ族が有名ですが、19世紀にアフリカ南端からオランダ植民農民(アフリカーンス)と戦ったズールー族も、同じ道を下った人々です。

ざっと北から西、東とまわってみましたが、抜けていることもたくさんあります。
また、19世紀になってからのヨーロッパ人の深部アフリカ探検時代はオミットしています。

質問した人からのコメント

2011/8/11 22:08:28

ありがとうございます

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