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池田輝政について、何か面白いエピソードや噂などありますか?? 面白くなくて...

ni4********さん

2011/8/722:41:03

池田輝政について、何か面白いエピソードや噂などありますか??

面白くなくても、不思議な事や意外な事など教えて下さい!

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rev********さん

2011/8/723:39:58

>姫路城の怪異と輝政の死・天守の五層目に、夜な夜な怪しい灯火がともされたり、真夜中に突然大きな太鼓の音とともに悪鬼が現れて人々をとり殺したり、あるいは夜半に大勢の女子供の泣きわめく声が突如として、湧き起こったりした。さらに若い女中がさらわれたり、白昼傘をさしたまま侍が空中に吊り上げられるなど、不気味な事件が昼夜の別なく城内のあちこちでありました。
ついに怪異は、輝政本人をも襲いました。輝政の枕元に現れた美しい上臈が、近日中に病気になるだろうと予言した。天守閣が完成した直後の慶長十四年には、実際に奇妙な書状が届けられた。『播磨主大天神東禅坊・都の主千松』なる人物から輝政・督姫・輝政の母に宛てた文で、『此九月にもな、物にくるいつるおな、きつねよなとかつてん(合点)しつるかな、これもとうとみのくに(遠江国)の天神そや、すなわちくわん(願)あかりてな、三りんほうが、はやはやよりんほうになりたるそや伝々』と言う様な呪いの言葉が、書き連ねられていた。その要旨は、『遠江の四りん坊なる天神(天狗)が三りん坊なる天神を誘って姫路城の鬼門から侵入し、輝政らの命を奪おうとしている』この呪いから逃れる為には、城の鬼門に『八天塔』すなわち『八天大塔護摩堂』を建立し、大八天神を祀って護摩の秘法で祈祷を納めなければならない。と言う様な意味でした。この怪文書は、現在、小野市浄土寺と多可郡円満寺に所蔵されていると言います。
剛毅な輝政が打ち捨てていたところ、城内で怪異がつづき、とうとう輝政自身も病の床についた。さすがに気味悪く、輝政は八天堂を建立、円満寺の僧を招いて悪魔調伏の護摩修法を行った。だが時すでに遅し、輝政は外出中、にわかに苦しみだし、急ぎ帰城する途中、輿にカラスが次々にぶち当たって来た。この後、輝政は一時的に回復したが、病室の障子や壁に群れをなしたカラスが突き当たってはバタバタと、地上に落ちて死ぬなど不吉な現象が続き、慶長十八、ついに帰らぬ人となった。
おそらくは中気の再発だろうが、ただ、吐血して突然死を遂げた事から、毒殺の噂が立ちました。

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pia********さん

編集あり2011/8/1220:07:49

池田輝政の面白いエピソード。
「愚かなのはどっち?血まみれの説得で命を拾う」
→1584(天正12)年、羽柴(豊臣)秀吉と、徳川家康・織田信雄連合軍が対決した小牧・長久手の戦いに、輝政は父の恒興(つねおき)、兄の元助(もとすけ)とともに秀吉方として出陣した。ところが、戦いのさなか父と兄が討死してしまったため、自分も後を追うと敵中に飛び込む構えを見せる。これを止めたのが家臣の番藤左衛門(ばんとうざえもん)といわれ、輝政が乗った馬の轡(くつわ)を取り、必死に引き返させようとしたのである。怒った輝政は、「愚か者」と叫んで何度も藤左衛門の頭を蹴りつけたが「若殿こそ愚かである」と血まみれになりながらも手を離さなかった藤左衛門に馬から落とされた未に、戦場から離脱。戦後、輝政の祖母に「今度の恒興父子のことは残念でならない。輝政殿と弟の長吉殿の無事は不幸中の幸いで、両人を取り立てることを約束する」と手紙を送った秀吉の支持のもと、池田家の家督を継ぐこととなったのだった。

まだあるけど、あまりにエピソードが長いため、ここまでにしますね(^_^;)

もし池田輝政のエピソードをもっと知りたいなら、いつでもお答え出来ます♪

以上です☆彡

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