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中世ヨーロッパのキリスト教聖職者は、妻帯が禁止されていましたが、その理由って ...

リチャードさん

2011/8/2723:36:12

中世ヨーロッパのキリスト教聖職者は、妻帯が禁止されていましたが、その理由って 何なのでしょう??

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編集あり2011/8/2810:49:28

現代でもカトリックの聖職者は妻帯が禁止されています。中南米、フィリピンとその影響力は中世より大きいです。

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pri********さん

編集あり2011/8/3122:39:54

ヴァチカンのwebサイトには、聖職者が独身であるのはキリスト教の教義
(dogma)ではなく規律(discipline)であると書かれており、変更がありうる
ものとされています。実際に、古代の初期キリスト教会において、ペトロたち
が妻帯をしていたように独身制は実行されていませんでした。新約聖書の
ティモテへの手紙3章2節には「それゆえ、司祭(監督)は、非のうちどころが
なく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切に
もてなし、よく教えることができなければなりません。」とあるように、司祭職
の資格として結婚していることが条件に入っているくらいです。

しかしながら、ルカ伝18章28~30節に書かれたキリストの言葉「神の国の
ために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てたものはだれでも、この世では
その何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける」によって、家族
を捨てること(仏教の出家に相当するようなもの)が聖職者にとって必要なこと
である根拠の一つとされ、そのため、マタイ伝19章29節とマルコ伝10章29
節では子供を捨てることについて触れています。しかしながら、使徒たちの
宣教の旅に付き従い、彼らの宣教を助けたのが妻たちであったことから、妻を
捨てることに関しては触れられませんでした。妻が布教において大いに助けと
なっているという現実と、キリストの言葉による教義的な理想との狭間で、
恐らく初期キリスト教会の使徒たちは妥協の結果として、妻と離婚はしない
までも、妻との性交に関しては禁欲を貫くという自己を律する規律を課した
と考えられます。これは例えばパウロが彼ら使徒の妻たちのことを「姉妹である
女性」とか「姉妹である妻」と呼んでいることからも窺えます。聖職者が妻との
性交を控え、禁欲を行うという規律が初期キリスト教の頃から存在し、これが
キリスト教と国家との関わりができる頃に明確に妻帯者の禁欲維持と独身制
として規定されるようになっていったと考えられるのです。

聖職者独身の規定は、キリスト教がローマ帝国に公認され始める前後くらい
から明確に定められるようになります。305年のエルヴィラ(現在のグラナダ)会議
では聖職者の結婚禁止が規定され、これに反した場合に聖職者の資格が
剥奪されることが定められています(教会法33条)。また、キリスト教が国教化
される頃にも、390年のカルタゴ会議において聖職者が祭壇で貞操を保つこと
ができるよう、妻との性交を控えることが定められており、385年には教皇シリ
キウスが教皇教令の中で性的禁欲を使徒の規律とすることを主張しています。
このようにローマ帝国とキリスト教が密接な関係を持つ頃になってから、聖職者
の童貞・禁欲・独身について何度も規定されるのですが、何度も規定しなけれ
ばならなかったということ自体、実態としては、これらの規定があまり守られていな
かったことを示しています。

そして、この実態として規定があまり守られないという状態は、中世期に入った
時に叙任権闘争との関連で新たに問題とされ、グレゴリウス七世による改革が
始まるのです。11世紀当時、カトリック教会において問題となっていたのは、
世俗権力によって任命される司教や大修道院長などの聖職者が存在すること
と、それに伴って起こる聖職者の不正や堕落、すなわち聖職者の妻帯や聖職
売買が横行したことでした。グレゴリウス七世は、こうした現状を改革するために
1075年に「教皇令27か条」を出します。更に教会会議において聖職者の妻帯
と聖職売買の禁止を徹底するよう求めます。

中世において世俗権力が強大化していくことで、私領に建てられた聖堂(私有
教会)や修道院の聖職者や修道院長の選出に世俗権力が影響力を強め、
これは教会財産の管理権を世俗権力が握ることを意味したため、教皇側から
すれば由々しき事態となっていました。そこで、聖職者の叙任権を巡って世俗
権力と教皇とが対立し、グレゴリウス七世による改革が起こされるわけです。
聖職者の妻帯の問題はこれと絡んで重要性を帯びるようになったため、今まで
の守られていないという実態を矯正する必要が生じて、グレゴリウス改革以降、
教皇権の伸張と共に中世期において独身制の厳守が励行されるようになって
いくのです。

グレゴリウス改革
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E...

Clerical celibacy (Catholic Church)
http://en.wikipedia.org/wiki/Clerical_celibacy_(Catholic_Church)

ひでおさん

編集あり2011/8/3023:20:52

アダムとイブが楽園を追い出されたあと、労働と出産の苦しみを味わうようになったからです。

これを原罪といい、労働と出産は、罪の象徴なのです。

だから、聖職者はこれを避けなければならないと考えたわけですね?でも、みんながそれをやると、人がいなくなってしまいますよね。

【追記】

そもそも、原始キリスト教には、聖職者という概念はありませんでした。また、「若き日のあなたの妻を愛しなさい」とあるように、妻帯も否定していなかったのですね。

だから、建前はともかく、聖職者の妻帯禁止は、あくまで、法王を頂点とするローマ教会の都合ということになります。つまり、聖職者の妻帯によって、地区の諸侯などの権力と結びつくのを恐れたわけですね。

ms4********さん

編集あり2011/8/2804:40:29

キリスト教の土台であると同時に古代からある思想で、人間は「体、心、霊」の三つでできているとされていました。このうち「体と心」は死によって滅ぶものですが、「霊」だけは永遠のものです。そして神や天使と交信できるのはこの「霊」だけとされていました。「体」の口や耳では神と交信できないのです。「霊」が神に包まれて人は何かを感得すると考えられました。

しかし神と交信するレベルの「霊」は当然ながら「清らかな霊」でなくてはなりません。では、どうすれば霊は浄化されるのか?それは肉体への愛や慈しみを遠ざければ遠ざけるほど良いとされました。つまり食欲、睡眠欲、性欲…こうした肉体が喜ぶ快楽を遠ざけ、体を苦しめると反比例するように霊が清められ、神と交信できるというわけです。

一方、「聖職者」とは何か? 簡単に言えば民衆と神の間をとりなす者です。つまり教義上は「神と交信できる者」です。だからその霊は清浄でなくてはならず、そのために禁欲にいそしまなければなりません。妻と夜のハッスルは霊を汚すことになって神と交信できなくなると中世ヨーロッパでは考えられていました。

と、まあもっと複雑なんですが簡単に言うだけでもこれくらい長くなります。

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