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これは中国史上、はじめて外国にたいして撃った礼砲であった

slalkesfj さん

2011/8/3022:40:17

これは中国史上、はじめて外国にたいして撃った礼砲であった

書籍:中国が憧れた理想の国 日本
著者:拳骨 拓史


P119~121

当時の中国は儒教の風習が色濃く生きており、喪中の外出は禁じられていた。
にもかかわらず、実質的に清国のトップである李鴻章がわざわざ副島を訪問したのである。
異例中の異例の出来事だった。
そして副島が日本に向けて出港する船に乗ったときである。
船から見える沖には無数の錦の大旗がひるがえっていた。
そしてその出港を見届けるように青く澄みわたった天津の空に向け、21発の礼砲が撃たれたのである。


これは中国史上、はじめて外国にたいして撃った礼砲であった。


副島はそのときの感動を「発天津」という詩に詠んでいる。


悠々たる白河が日本に向かって流れていく。
大砲と船ともに準備が整い、
砲声が整然と轟いて日本へ帰る私を祝福してくれている。
日中両国の未来には芳ばしい匂いが漂っている。


副島を絶賛したのは清国だけではない。
一部始終を見守っていた各国の公使たちもこれを称賛した。

<中略>

副島が日本に帰国すると、各国の駐日公使は揃って彼のもとを訪れ、「今日からは真の独立帝国の外務卿として御交際願う」と述べたと言う。


この言葉に示されているように、このときまで西洋諸国は日本を独立国として認めていなかった。


副島のみごとな外交が日本の国際的地位を飛躍的に向上させたのである。

<中略>

後年、日本に亡命した中国の政治家の梁啓超は、清国改革のモデルは明治維新にもとめるべきだと考えていたため、副島のもとを訪れて、維新を成功させるために参考となった書物があれば教えてほしいと尋ねている。
それにたいして副島は答えた。


「私が外交智識を得たのは貴国の漢訳万国公法(漢文に翻訳した国際法)である。その程度の知識で(欧州)列強の使臣(大使)に侮られなかったのは一に「志気」である」


と、副島が外務卿としての手腕をふるったのは、わずか2年足らずの間でしかなかった。
だがその残した足跡は、日中友好史の金字塔となったといえるだろう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E5%B3%B6%E7%A8%AE%E8%87%A3



Q 副島は、『中国人からも尊敬されていた外務卿だった!』のですか?

補足ありがとうございます

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ベストアンサーに選ばれた回答

sel********さん

2011/9/305:25:21

当時の中国の外務官から尊敬されていた、
というのが正解でしょうね。

中国人全体では知名度は?でしょう。
日本人全体でも決して有名では無いので。

副島種臣 - Wikipedia
http://www.google.com/gwt/x?source=m&u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.or...

副島種臣歿後100年
http://www.google.com/gwt/x?q=%E5%89%AF%E5%B3%B6+%E4%B8%AD%E5%9B%BD...

質問した人からのコメント

2011/9/5 08:22:08

笑う ありがとうございました。
またお願いします。

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