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武蔵七党の一つ児玉党(氏)について、 詳しい人はいますか? 関東から九州の日...

goo********さん

2011/9/1903:27:06

武蔵七党の一つ児玉党(氏)について、 詳しい人はいますか?
関東から九州の日向や薩摩に落ち延びた一族は存在したのでしょうか?
家紋は唐団扇です。

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han********さん

2011/9/1909:09:30

児玉氏は武蔵七党の中で最も規模が大きく、十一世紀ごろ、藤原伊周(正二位・フジワラコレチカ)の家人、有道惟能(アリミチコレヨシ)が藤原伊周の没落後、武蔵介として下向し児玉郡を開拓し土着したのが始まりとされています。児玉郡阿久原(埼玉県児玉郡神川町阿久原)に本拠地を構えた事が、「政事要略」や「新編武蔵風土記」に記載されています。またその諸氏は児玉氏のほか、秩父氏(秩父市)、本庄氏・四方田氏(本荘市)、塩谷氏・真下氏(児玉町)入西氏(川越氏)浅羽氏(坂戸市)小代氏(東松山市)生越氏(越生町)などがあり、ほかにも吉島氏・倉賀野氏・片山氏・大類氏など上野国群馬郡・多野郡・甘楽郡に展開した諸氏もあり、鎌倉の頼朝につき御家人としての地位を築きました。浅羽氏の一族に浅羽遠広と有ものが小代郷(埼玉県東松山市東南部)に土着して小代二郎太夫と名乗りました。その子、行平は鎌倉の御家人となり、その孫、重俊が宝治の乱における手柄で、肥後国玉名郡野原の荘(熊本県荒尾市野原)の地頭職と土佐国稲吉乙松名を所領として賜りました。元寇後一族は肥後に移り住後に、菊池氏に仕えます。戦国時代、菊池氏の勢力が衰えると島津氏、竜造寺氏、大友氏と戦います、この時、一族の者で島津氏に降り、仕える者も居たそうです。小代氏本家は竜造寺氏、秀吉の九州征伐後、佐々成正に仕え、佐々氏没落後は加藤清正に仕え、その後は細川家に仕え明治を迎えます。ですので、島津氏に仕えた者は日向や薩摩に住み着いたのではないでしょうか。ちなみに、小代本家の家門は、軍配に三盛亀です。

質問した人からのコメント

2011/9/19 12:03:14

ありがとうございます。
関東発祥の苗字でありながら、日向に多い事に納得しました。
家紋も軍配団扇系も納得です。

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