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プロテスタントでは「人に罪を犯したら、ちゃんと償いなさい」という教えを説いて...

tie********さん

2011/10/816:11:02

プロテスタントでは「人に罪を犯したら、ちゃんと償いなさい」という教えを説いてる宗派はないんでしょうか

プロテスタントでは「人に罪を犯したら、ちゃんと償いなさい」という教えを説いてる宗派はないんでしょうか

またプロテスタントでは、そういう「人に罪を犯したら、ちゃんと償いなさい」というカテキズムは全くないんでしょうか

どんな罪を犯しても、キリスト教を信仰すれば、すべての罪が許されるというのは、どう考えてもおかしいですよね

強姦・輪姦したヤクザも許されてしまうのだから。

クリスチャンは、なにをされても「許しなさい 許しなさい」って言うでしょ

これじゃ、被害者の女性は泣き寝入りじゃないですか

キリスト教は、被害者に泣き寝入りをさせる宗教ですね

マタイ:18章
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度までででしょうか。
イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。

この文をどう解釈したら、いいんでしょうか

やはり、「泣き寝入りを生じさせる」イエスの言葉ですよね



PS: bible_goさん 今朝、質問した所で、別のIDで新たに再質問しましたので

お手数おかけしますが、そちらでお答え願いますでしょうか

補足補足 プロテスタントでは「人に罪を犯したら、ちゃんと償いなさい」という教えを説いてる宗派はないんでしょうか 。またそういったカテキズムはないんでしょうか。教えは、各教会の牧師さんによって、まちまちなんですかね

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ベストアンサーに選ばれた回答

cad********さん

2011/10/819:33:10

質問者様の、疑問のお気持ちはよくわかります。その記述だけだと、犯罪者のやったもん勝ち、ということになりますね。
でも、イエスの語られた類似記述の中には、「もし兄弟(すべての人間)が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。」(ルカ書17:3)というものがあります。「戒める」、罪の重さを法律や宗教上の処置などをもって知らしめること、そして「悔い改めれば」、罪の償いをしっかりと全うさせるという段階を踏んでから、許しを与えることが記されています。
それで、重罪についても単純に許すことが求められているわけではありません。神も、最初の人間の罪を簡単には許さず、処罰として不完全さと死をもたらされ、キリストの贖いという神による法的処置に対する感謝を表明する人間を許すことにされていますよね。なので、犯罪者に対して、罪の償いを要求することは正当です。
質問者様の挙げられた言葉は、許すことにおいて決してやぶさかであってはならないことに焦点を当てた論議です。犯罪者が悔いているのになかなか許さないとか、酌量しない態度を戒めるものです。
ただ、中には全く反省しない犯罪者もいます。その場合には、「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。」(ローマ書12:19)という指導に従うべきでしょう。

質問した人からのコメント

2011/10/8 22:04:47

cadillac8192さん、tomoching2さん、丁寧なお答えありがとうございました

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ベストアンサー以外の回答

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god********さん

2011/10/819:20:53

他の回答者さんも言っていますが、神を信仰していれば、罪を犯せば悔い改めるでしょうから、神を信仰し悔い改めている人の事は赦しなさいと言う事だと思います。

tom********さん

編集あり2011/10/819:57:53

○とても興味深い質問ですね~!言われてみればプロテスタント信者にとっても未信者にとってもご都合主義的な解釈だと思いました。

>クリスチャンは、なにをされても「許しなさい 許しなさい」って言うでしょ
・・・ここでも2つの解釈が出てきて①プロテスタント信者に対してどんなに酷いことをしても何も文句を言わないからドンドンやっちまえ!(世間に弱みを握られる)②プロテスタント信者の男性がセクシーな女性に対して情欲的な感情を抱いても、自分でそのワイセツな思いの理由となった「目」をえぐり取って捨てなくてもいい(マタイ5章27節)。何度ワイセツな思いを頭に描いても赦される。

ところで「神の子羊」がいけにえとなった十字架上での儀式律法(ペサハの儀式)で赦されるのは「原罪」であって司法律法(サンへドリンと呼ばれ世襲の裁判官、ユダヤ人名でコーヘン、Cohenと陪審員、長老)で裁かれる罪とは別だと思います。ですから「全てのの罪が赦される=全ての原罪が赦される」です。どこにもペサハの儀式で傷のない雄の子羊を屠殺し夜中に焼いて、食べて次の日まで残さないように苦い菜っ葉と一緒に食べたからと言って司法裁判によって決着をつけなければならない罪まで赦されるとはユダヤ人は考えていません。あくまで原罪の話。

ニケア公会議があった大昔の時代だって犯罪が赦されることはなかったし、キリスト教が主流だったヨーロッパ中世時代にも牢獄は存在していたし・・・

今でも「目には目を、歯には歯を」でイスラム諸国では強姦すればペニスを切断され、盗めば指を切断されるようです。この前もありましたよね、フラれた彼女の顔に硫酸かけたイスラム教徒の男性が刑罰として自分も刑務所で顔に硫酸をかけられたって事件が。そんな復讐をせずに赦せとか復讐は神に任せろのように聖書には書かれてありますけどね。

その・・・キリスト(神の子羊)が十字架上でいけにえとなった儀式律法によって「原罪」に対する扱いに決着がついたからと言っても、まだまだ司法律法については別だと思います。自分の子供が犯罪者に殺されたのに、その犯罪者を野放しにしたままなんて有り得ないですから。

>教えは、各教会の牧師さんによって、まちまちなんですかね
・・・(結論)ここだけの話、正直言ってそうなんじゃないですかね?!

2011/10/818:39:52

まず刑に服してその後許してあげなさいと言う感じだと思いますが

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