鎌倉幕府ができたのは1185年? 1192年からいつの間に変更なっていたんでしょうか 何か歴史的発見があっての変更

補足

補足 早速のご回答ありがとうございます! 補足で教えてください。 源頼朝の教科書に載っていた肖像画が本人ではないと聞きましたが本当ですか? ではあの人物は誰なのでしょうか 今の教科書には違う肖像画が載っているのですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございまいした!!

お礼日時:2011/11/8 8:18

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1185年は壇ノ浦の戦いがあって、源頼朝が義経に命じ、平氏を滅ぼしました。 そして、1192年は、源頼朝が、征夷大将軍に任命されました。 今げんざいは、滅ぼした時から鎌倉幕府は始まったVS任命された時から始まった で、論戦をしているようです。 覚え方は、1185〔いい箱〕作ろう鎌倉幕府です。でも、1192でも1185でもどちらでもいいと思いますよ。 本人ではない説が有力なので、伝 源頼朝とされています。〔そう教科書に載っています〕正確には、誰かは分かりませんが、従兄弟?親戚だと思います。

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鎌倉幕府なんてのは、存在しなかったので、「成立」なんてしようがないです。 「幕府」とは、近衛将軍の唐名として使われていました。 それが、頼朝が、右近衛大将と征夷大将軍を兼ねたために、頼朝以降、征夷大将軍の唐名ともなりました。 「幕府」が政庁や政権そのものを指すようになるのは、江戸幕府からです。 当時は、朝廷と公家からは、「関東」、武家からは「鎌倉殿」と呼ばれていました。 なので、本来は、「鎌倉政権の成立」とでもするべきなのです。 それが、「幕府」とされたのは、徳川氏が「幕府」を「政庁」と定義してしまった影響でしょう。 鎌倉政権の成立時期については、ほかの方の回答にあるように、諸説有ります。 また、現在でも、1185年説が定説、って訳ではありません。 これは、たまたま、それを採用している教科書が多い、ってだけのことです。 人によっては、1221年(承久の変(乱))だって人も居ます。 現在、学会での大勢は、様々な段階を経て、鎌倉殿の支配が確立していった、ってものです。 補足に関してですが、 弟の足利直義ではないか?とも、言われています。 ただし、現在、論争の真っ最中で、結論は出ていません。

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現代の官庁や公益法人のように、法令に基づいて設立されたものではないので、解釈によってどうとも捉えられまます 中央公論の『日本の歴史』では諸説を紹介しながらも、「頼朝が南関東を支配し、侍所と公文所を設置した時点とするべき」としてました 結論としては、鎌倉幕府成立の年は特定できないが、「壇之浦の戦いに勝利して平氏を滅ぼし、朝廷に守護地頭の設置を認めさせた」のが1185年、「頼朝が征夷大将軍に任命されたのが1192年」と憶えるしかありません

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実はまだまだ諸説あるのです ●1180年説=頼朝が坂東を制圧し鎌倉入りした時●1183年説=朝廷が幕府の東海道東山道の土地支配権を認める宣旨を出した時●1185年説=守護地頭を設置する権利を得た時●1190年説=朝廷が頼朝の諸国守護権を認めて右大将に任じた時●1192年説=征夷大将軍に任じた時 などです。要は征夷大将軍になる10年ほど前には実権を握っていたということでいいんじゃないでしょうか。

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鎌倉幕府というのは いくつかの段階を経て 成立しました。 頼朝が 鎌倉に本拠を おき、侍所を 設置して 東国武士団の支配に乗り出したのが 1180年。 諸国に守護地頭を置いて 統治機構を確立したのが 1183年。 朝廷が 頼朝の東国支配を認めたのが 1185年です。 したがって 鎌倉幕府が実質成立したのは 1185年であると 言えます。 1192年は 頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年です。 この年に鎌倉幕府が成立したわけではなく、 実質的な鎌倉幕府成立は 1185年ということになります。 現在 学会で この説 に異を唱える学者は いません。 それから、頼朝の肖像画というのは 有名な 神護寺三像のうちの一つのことだと 思いますが、 新説によると 足利尊氏の弟 足利直義では ないかと 言われています。