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『源氏物語』で、作者の紫式部が主語にあたる文を見分けるにはどうしたらよいでし...

hir********さん

2011/11/1213:28:06

『源氏物語』で、作者の紫式部が主語にあたる文を見分けるにはどうしたらよいでしょうか?

補足お答えありがとうございます。申し訳ございません。主語という言い方に語弊がありました。
例えば、紫の上を作者から見た目線で書いている描写などを見分けたいのですがどのようにしたらよいでしょうか?

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編集あり2011/11/1219:49:04

『源氏物語』の中で、作者の紫式部が主語になっている文章はありません。

恐らく、紫式部ではなくて、「語り手」を主語とした文章を知りたいのだろうと思います。
語り手は、架空の存在で、物語を口頭で語っていることになっている女性です。

この語り手が、「この時光源氏は何を考えたのでしょうか」などと推測を交えて語る部分が、しばしばあります。
それを「主語にあたる文」と言うかどうかは分かりませんが、一般にそうした語り手の主観が強く現れた部分を、「草子地(そうしじ)」と呼んでいます。

語り手がどのような性格づけの女性として設定されているのかを知ろうとする際の手がかりになります。

ちなみに、紫式部が作品中に登場しないのは、この作品は建て前上実話ということになっており、作者などという存在はいないことになっているためです。

※補足に関して
先ほども述べました通り、作者からという概念ではなく、語り手から見た目線ということになるかと思いますが、原則として、『源氏物語』の説明文(地の文)の基本は、語り手の目から見た描写で書かれていると考えてよいのです。

むしろ、源氏の目から紫の上を見たりする視点などの方が異例です。
例えば、小柴垣のところから、犬君が雀の子をどうしたこうしたと言って騒いでいる若紫を見ている描写などは、明らかに源氏の視線によって描写が追われています。

そのように特定の登場人物の視点を借りて描写が成立している場合、その視点を提供している登場人物を「視点人物」と呼びます。
「視点人物」が特に不在の場合は、描写の視点は、基本的に語り手(ご質問者のいう「作者」)の視点です。

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tre********さん

2011/11/1312:39:07

源氏物語で、紫の上とか登場人物のことを、作者から見た目線で書いている描写ってなんだろなぁ・・・?

それってこういう描写のことですよね。。。(^^*)

■交野少将には笑はれ給ひけむかし
光る源氏、名のみことことしう言ひ消たれ給ふとが多かなるに、いとどかかる好き事どもを末の世にも聞き伝へて軽びたる名をや流さむと忍び給ひける隠ろへ事をさへ、語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。さるはいといたく世を憚りまめだち給ひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野少将には笑はれ給ひけむかし。(帚木)

■御心おごりぞあいなかりける
「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかごとを何にかけまし」、高やかなる荻につけて忍びてとのたまヘれど、とり誤ちて少将も見つけて、我なりけりと思ひあはせば、さりとも罪ゆるしてんと思ふ御心おごりぞあいなかりける。(夕顔)

■いかがたばかりけむ
内裏にても里にても、昼はつれづれと眺め暮らして、暮るれば王命婦を責め歩き給ふ。いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつる程さへ、うつつとは覚えぬぞ侘しきや。(若紫)

■いと悪ろき心なるや
つれづれに思さるれば秋の野も見給ひがてら雲林院に詣で給へり。(中略)律師のいと尊き声にて念仏衆生摂取不捨とうちのべて行なひ給へるは、いとうらやましければ、なぞやと思しなるに、まづ姫君の心にかかりて思ひ出でられ給ふぞ、いと悪ろき心なるや。(賢木)

こういう描写の見分け方は特にないでしょ?

源氏物語の語り手が、地の文(会話文や手紙文ではなく物語を語る文)を延々と語ってゆくなかから、登場人物のことを批評するような箇所や、読者に向けて直接語っているような箇所があれば、それが質問者さまのいう「作者から見た目線で書いている描写」になるのだろうと思いますけど。

でも、そういう箇所がマーカーで色分けされているわけでもないのだし、地の文を読むなかで、読み分けていくしかないじゃないですか?

ま、そういうのが読書の楽しみのひとつでもありますし、研究目的かなにかで急ぐわけでもなければ面倒なことでもないし、ひとりひとりの読者が気分次第で自由に判断すればいいことですから、「見分けたいのですがどのようにしたらよいでしょうか?」というふうに、ことさら悩むようなことじゃありません。

そういえば、源氏物語に語り手がいることを考慮すれば、地の文で用いられる敬語の敬意の方向は「語り手から登場人物へ」と言わなければいけないのですけれども、Yahoo知恵袋でよくある敬意の方向の話題のときには、語り手をぜんぜん無視して「作者から登場人物へ」とか説明する人が多いじゃないですか。

常日頃、敬意の話題の時には語り手の存在を徹底的に無視している人々が、今回のご質問のような草子地の話題になると、手のひらを返したように語り手の存在を必死に強調するのは、いやはやなんとも片腹痛く、辻褄が合わないことですよね。

nya********さん

2011/11/1214:18:03

『源氏物語』に、作者の紫式部自身が主語になった文章はありません。
紫式部自身は登場しませんので。

また、語り手(作者)の感想を述べていると思われる表現もたまに見受けられますが、あくまでも主語とは「行為の主体」を指すものですから、語り手(作者)=主語にはなりません。

なぜこのような質問が出てきたのか考えてみたのですが、私の勝手な推測ですがもしかして質問者さんは「敬意の方向」を判断する材料を探してらっしゃるのでは?
もしそうなら、お答えのしようがあるのですが…

見当違いだったら申し訳ありません。

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