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ヴィトンのバッグが臭い。 最近ヴィトンのバッグをオークションで落札しました。

dat********さん

2012/1/513:58:45

ヴィトンのバッグが臭い。
最近ヴィトンのバッグをオークションで落札しました。

モノグラムです。
タバコやカビ臭ではないのですが、独特の家の臭い?みたいな臭さを感じます。
激しく臭うので天日干しを3日し、ファブリーズもしましたが、臭すぎます。

臭いを取る良い方法はありますか?

出品者様は、数回使用後使わないで押入れに入れっぱなしだったようです。
もう販売していないバッグで、超美品とのことで落札し、確かに美品ではあります。

転売したら落札した額より高く売れるのですが、次の方に申し訳なくて出来ません。
やっと見つけたバッグで、何とか臭いを取りたいです。

※質屋さんで本物と鑑定して頂きました。
よろしくお願いします。

補足回答ありがとうございます!!!
一通りネット検索してから質問したのですが、匂い袋とは名案ですね。
たまたま精油が手元にあるので匂い袋にして入れてみたいと思います。
以前、試着のみ新品でニットを落札したら、クリーニングに出しても取れないワキガ臭で捨てた事があり、今回も心配していました。
しかも、天日干しではなく陰干しが正解ですよね。
〆まで匂い袋試すので少しお待ちくださいませ。
宜しくお願いします。

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29,821
回答数:
3
お礼:
250枚

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ベストアンサーに選ばれた回答

wan********さん

編集あり2012/1/610:14:17

以前私もグッチのバッグを落札したら、かび?のような
においがして困ったことがありました。
陰干ししても変わらないので、ハーブ系のにおい袋を3つほど
バッグに入れておきました。
1ヶ月ほどでいやなにおいはなくなりましたよ。
別に100均のものでも、自分の好きなにおいならいいと思います。
新聞紙とか、石けんとかより効き目はあると思います。
すぐに使いたいときは困りますが、私の場合は
すっかりにおいは消えました^^

補足ですが
1週間ではもしかするとにおいは消えないかもしれませんが。
外ポケットとかあればそこにも入れておいたほうがいいと思います。
あまり小さいサイズだと無駄かもしれないので、大きめの袋で
試してみてくださいね。
バッグにはファブリーズは禁物だと思います(笑)

オークションだと匂いまでわからないので困りますよね。
ショップだと正直に、たばこ、香水、保管時のにおいあり
と記載していることもありますけど。

質問した人からのコメント

2012/1/11 22:54:34

補足にも回答下さり本当に感謝です☆
ファブの事も確かにそうですね!
チャック付きのビニールバッグに香り袋、中の布地部分にも香り袋を入れて密閉しました。
お蔭様で内部の臭いはほぼ取り除く事が出来ました。
外側は一度水拭きしてからINしましたがなんとなくまだ臭いますが、かなり臭いが取れてきています。
ちなみに柑橘系が好きですが、逆に酸っぱい臭さと勘違いしそうなので、ローズ系にしました。
本当に素晴らしいお知恵に感謝☆

ベストアンサー以外の回答

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dat********さん

2012/1/1119:55:16

歴史 [編集]

黎明期(1854年 - 1892年) [編集]

ルイ・ヴィトンが評価されるようになったのは、創始者であるルイが亡くなった後のことである。ヴィトン社はまず「グリ・トリアノン・キャンバス」(Gris Trianon) というトランク工場として創始された。このトランクは灰色のキャンバス地で覆われており、とても軽量なものであった。1854年、ルイはエミリー (Emilie Clemence Pariaux) と結婚、同年、世界初となる旅行用鞄の専門店をパリに創業。3年後の1857年には息子のジョルジュ (Georges Vuitton) が生まれた。

1859年、アニエール=シュル=セーヌに最初のアトリエを構える。

1860年、ヴィトン社は需要に押されて規模を拡大した。1867年、万国博覧会で銅メダルを獲得。これにより世界的な評判を得、1869年にはエジプト総督のイスマーイール・パシャが、1877年にはロシアのニコライ皇太子(後のニコライ2世)がそれぞれ、1セットのトランクを発注した。また、当時世界的に力を持っていたスペイン国王アルフォンソ12世からもトランクの注文を受けるなど、主にスラブ、ラテン系王侯族に重用された。

トランクの上から布地を貼るというルイの技法は賢明であったが、容易にコピー商品が出回ることとなり、1872年、ルイは別の布地を使うようになった。この布地は、「Striped Canvas」として知られているベージュと赤の2色で色づけされた布地である。しかし、これもすぐにコピー商品が出回ることとなった。

だが、コピー商品に押されることなく、彼のビジネスは成功を収めた。また、私生活の方も衰えることはなく、1880年には息子のジョルジュがジョゼフィーヌ・パトレイユ (Josephine Patrelle) と結婚。入籍当日に、彼は息子にスクリーブ通りの店を任せた。その3年後、ジョルジュにも息子ガストンが生まれ、ルイは祖父となった。

1885年、ヴィトン社はロンドンに進出。1888年、ジョルジュが模倣品防止のため、ベージュと茶褐色のチェス盤にルイ・ヴィトンの銘が入った「ダミエ・ライン」と呼ばれるデザインを考案。1889年のパリ万国博覧会で、ルイ・ヴィトン社に金賞をもたらした。しかし、商標登録もされていたにもかかわらず、またコピー商品が出回ることとなった。現在は白と灰色の「ダミエアズール・ライン」、黒を基調とした「ダミエグラフィット・ライン」もある。

1890年、5枚羽の錠前を開発。

1892年、ヴィトン社はハンドバッグの販売を開始、トランクやハンドバッグなどが掲載された最初のカタログもリリースされた。その年の2月27日、ルイは自宅で息を引き取り、ジョルジュが会社の全権を握ることとなった。

黄金期(1893年 - 1936年) [編集]





モノグラム
父ルイの死後、ジョルジュはルイ・ヴィトン社を世界的な企業へと押し上げた。ジョルジュは、1893年のシカゴ万国博覧会に出展するなど、会社をうまく運営し続けると共に、著書『Le Voyage』(フランス語で旅の意)を出版した。

1896年、ダミエの模倣品が出回ってきたことから、ヴィトン社はそのトレードマークとなる布地を新たに発表した。モノグラム・ラインと呼ばれることになるその模様は、様々なシンボルと共にルイ・ヴィトンを示す「LV」というマークが描かれている。ジョルジュはその後アメリカへ渡航、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアなど様々な街を旅行し、その訪問中にもヴィトン製品を売って歩いた。1898年にはパリ・オートショーにヴィトン製品を出展した。

1900年、ジョルジュはパリ万国博覧会の「旅行アイテムおよび革製品」の部門を担当するという栄誉を得た。1901年、ヴィトン社は、トランクの中に入れることのできる小さなカバン「スティーマーバッグ」を発表した。

3年後の1904年、ジョルジュはセントルイス万国博覧会において議長を務めた。同年、ヴィトン社は新商品として、香水や衣類などの商品を小分けにできる仕切りの付いたトランクを発表した。

1914年、パリのシャンゼリゼに世界最大のトラベル・グッズ専門店をオープン。

ビジネス拡大(1937年以降) [編集]





香港店




神戸メゾン(神戸・旧居留地)
1978年3月、東京に3店(日本橋高島屋、サンローゼ赤坂店、西武渋谷店)大阪に2店(西武ピサ大阪ロイヤル店、アンロワイヤル阪急17番街店)の5店舗がオープン。9月には高島屋大阪店にオープン。

1981年、日本初の直営店舗を東京・銀座にオープン。1989年には香港初の店舗をオープン。

1983年、アメリカスカップの挑戦艇選抜シリーズ、ルイ・ヴィトンカップがスタート。

1985年、エピ・ラインを発表。

1987年、ルイ・ヴィトンとシャンパン製造会社のモエ・ヘネシーとの合併によりLVMH モエ ヘネシー ルイ・ヴィトンが誕生。LVMHグループはその後、クリスチャン・ディオールやフェンディなど有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長する。

fgh********さん

2012/1/1116:59:52

ルイ・ヴィトンが評価されるようになったのは、創始者であるルイが亡くなった後のことである。ヴィトン社はまず「グリ・トリアノン・キャンバス」(Gris Trianon) というトランク工場として創始された。このトランクは灰色のキャンバス地で覆われており、とても軽量なものであった。1854年、ルイはエミリー (Emilie Clemence Pariaux) と結婚、同年、世界初となる旅行用鞄の専門店をパリに創業。3年後の1857年には息子のジョルジュ (Georges Vuitton) が生まれた。

1859年、アニエール=シュル=セーヌに最初のアトリエを構える。

1860年、ヴィトン社は需要に押されて規模を拡大した。1867年、万国博覧会で銅メダルを獲得。これにより世界的な評判を得、1869年にはエジプト総督のイスマーイール・パシャが、1877年にはロシアのニコライ皇太子(後のニコライ2世)がそれぞれ、1セットのトランクを発注した。また、当時世界的に力を持っていたスペイン国王アルフォンソ12世からもトランクの注文を受けるなど、主にスラブ、ラテン系王侯族に重用された。

トランクの上から布地を貼るというルイの技法は賢明であったが、容易にコピー商品が出回ることとなり、1872年、ルイは別の布地を使うようになった。この布地は、「Striped Canvas」として知られているベージュと赤の2色で色づけされた布地である。しかし、これもすぐにコピー商品が出回ることとなった。

だが、コピー商品に押されることなく、彼のビジネスは成功を収めた。また、私生活の方も衰えることはなく、1880年には息子のジョルジュがジョゼフィーヌ・パトレイユ (Josephine Patrelle) と結婚。入籍当日に、彼は息子にスクリーブ通りの店を任せた。その3年後、ジョルジュにも息子ガストンが生まれ、ルイは祖父となった。

1885年、ヴィトン社はロンドンに進出。1888年、ジョルジュが模倣品防止のため、ベージュと茶褐色のチェス盤にルイ・ヴィトンの銘が入った「ダミエ・ライン」と呼ばれるデザインを考案。1889年のパリ万国博覧会で、ルイ・ヴィトン社に金賞をもたらした。しかし、商標登録もされていたにもかかわらず、またコピー商品が出回ることとなった。現在は白と灰色の「ダミエアズール・ライン」、黒を基調とした「ダミエグラフィット・ライン」もある。

1890年、5枚羽の錠前を開発。

1892年、ヴィトン社はハンドバッグの販売を開始、トランクやハンドバッグなどが掲載された最初のカタログもリリースされた。その年の2月27日、ルイは自宅で息を引き取り、ジョルジュが会社の全権を握ることとなった。

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