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皇位継承(天皇)の歴史上、 119代光格天皇以上に、皇位が傍系に移行した天皇は...

fes********さん

2012/1/3113:44:41

皇位継承(天皇)の歴史上、

119代光格天皇以上に、皇位が傍系に移行した天皇はいますか?

よろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ham********さん

2012/1/3115:54:20

他の回答者も答えてますが、やはり武烈天皇から継体天皇への皇位継承ですね!
武烈に後継者がいないという事で、初めは吉備の方にいた(だったような)皇族に白羽の矢がたちましたが、朝廷からの迎えの軍勢を見て、殺されると思い、逃げてしまいました。次に候補になったのが、越の国に在住の、応神天皇五世の孫である、継体だったのです。
五世の孫というのは、例えば、桓武天皇の五世の孫の平将門が、天皇に迎えられるようか感じですね。めちゃくちゃ強引です。

ベストアンサー以外の回答

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oma********さん

2012/1/3115:14:56

1)成務天皇の次は、(景行天皇-倭建の命-)仲哀天皇が、

2)履中天皇の次は、(仁徳天皇の皇子の)反正天皇が

またその次も(仁徳天皇の皇子の)允恭天皇が、

3)安康天皇の次は、(允恭天皇の皇子の)雄略天皇が、

4)清寧天皇の次は、(履中天皇-磐坂市邊押磐-)顕宗天皇が、

またその次も、(履中天皇-磐坂市邊押磐-)仁賢天皇が、

5)武烈天皇の次は、(應神天皇-若野毛二俣王-意富々等王-乎非王-彦主人王-)繼體天皇が、

6)安閑天皇の次は、(繼體天皇-)宣化天皇が、

またその次も(繼體天皇-)欽明天皇が、

7)敏達天皇の次は、(欽明天皇-)用明天皇が、

またその次も(欽明天皇-)崇峻天皇が、

またその次も、(欽明天皇-)推古天皇が、

またその次も(敏達天皇-押坂彦人大兄-)舒明天皇が、

またその次も、(敏達天皇-押坂彦人大兄-茅渟王-)皇極天皇が、

またその次も、(茅渟王-)孝德天皇が、

またその次も、(皇極天皇重祚)齊明天皇が

またその次も、(舒明天皇-)天智天皇が、

8)弘文天皇の次は、(舒明天皇-)天武天皇が、

9)持統天皇の次は、(天武天皇-草壁皇子(岡宮御宇天皇-)文武天皇が、

またその次は、(天智天皇-)元明天皇が、

またその次も、(天武天皇-草壁皇子(岡宮御宇天皇)-)元正天皇が、

またその次も、(文武天皇-)聖武天皇が、

10)孝謙天皇の次も、(天武天皇-舎人親王(崇道盡敬皇帝)-)淳仁天皇が、

またその次も、(孝謙天皇重祚)稱徳天皇が、

またその次も、(天智天皇-施基王-)光仁天皇が、

また平城天皇の次も、(桓武天皇-)嵯峨天皇が、

またその次も、(桓武天皇-)淳和天皇が、

またその次も、(嵯峨天皇-)仁明天皇が、

11)陽成天皇の次は、(仁明天皇-)光孝天皇が、

12)朱雀天皇の次は、(醍醐天皇-)村上天皇が、

13)冷泉天皇の次は、(村上天皇-)圓融天皇が、

またその次も、(冷泉天皇-)花山天皇が、

またその次も、(圓融天皇-)一條天皇が、

またその次も、(冷泉天皇-)三條天皇が、

またその次も、(一條天皇-)後一條天皇が、

14)後冷泉天皇の次は、(後朱雀天皇-)後三條天皇が、

15)崇徳天皇の次は、(鳥羽天皇-)近衞天皇が、

またその次も、(鳥羽天皇-)後白河天皇が、

16)六條天皇の次は、(後白河天皇-)高倉天皇が、

17)安徳天皇の次は、(高倉天皇-)後鳥羽天皇が、

18)土御門天皇の次は、(後鳥羽天皇-)順徳天皇が、

19)仲恭天皇の次は、(高倉天皇-守貞親王-)後堀河天皇が、

20)四條天皇の次は、(土御門天皇-)後嵯峨天皇が、

21)後深草天皇の次は、(後嵯峨天皇-)亀山天皇が、

22)後宇多天皇の次は、(後深草天皇-)伏見天皇が、

23)後伏見天皇の次は、(後宇多天皇-)後二條天皇が、

24)その次は、(伏見天皇-)花園天皇が、

またその次は、(後宇多天皇-)後醍醐天皇が、

25)長慶天皇の次は、(後村上天皇-)後亀山天皇が、

またその次は、(後伏見天皇-)光嚴天皇(北朝)が、

またその次は、(後伏見天皇-)光明天皇(北朝)が、

26)崇光天皇(北朝)の次は、(光嚴天皇-)後光嚴天皇が、

27)稱光天皇の次は、(崇光天皇-榮仁親王-治仁王-貞成親王-)後花園天皇が、

28)明正天皇の次は、(後水尾天皇-)後光明天皇が、

その次も、(後水尾天皇-)後西天皇が、

その次も、(後水尾天皇-)靈元天皇が、

29)桃園天皇の次も、(櫻町天皇-)後櫻町天皇が、

その次も、(桃園天皇-)後桃園天皇が跡を繼がれました。傍系相伝は珍しくなく、そもそも神武天皇も兄の五瀬の命の御遺志を繼ぎ、大和(今の奈良盆地南側一帯)に国の礎を築かれました。

sho********さん

2012/1/3114:55:49

南北時代直後の称光帝から後花園帝への皇位継承は、両者の祖父が従兄弟くらいな距離です。

古代だと、武烈帝から継体帝への皇位継承は、お互い5代ほど遡ると応神帝、ってくらい遡らなければなりません。
(が、継体帝の応神5世は怪しく、王朝交替説もあります)

このどちらかかと思います。(うろ覚えで申し訳ないです)

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