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尼子経久が「謀聖」と称された由縁であるエピソード、功績を御教授ください

yok********さん

2012/2/611:19:21

尼子経久が「謀聖」と称された由縁であるエピソード、功績を御教授ください

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a_b********さん

2012/2/723:56:45

尼子経久が主君から出雲守護代を剥奪、追放されて苦労の末居城の月山冨田城を取り戻した頃の事です。

ようやく居城を取り戻したとはいえ、まだまだ出雲には経久に反抗する勢力も多く、国人の三沢氏はその中でも特に有力でした。正面から戦ってはとても敵わないと考えた経久は家臣の山中勘充を呼びました。

それからしばらくして山中は同僚と城下で口論になり、怒りのあまり同僚を斬り殺すとそのまま逐電してしまいました。しばらくして山中はツテを辿って三沢氏に仕官を求めます。

最初は三沢氏側も敵の元部下を召し抱える事に難色を見せていましたが、尼子側から「経久は山中の逐電を怒り、山中の母と妻を捕らえて拷問にかけ逃亡先を聞き出そうとしている」と噂が流れてきて、密かに調べてみると山中の母と妻が捕らえられたのは事実だったので、召し抱える事にしました。

山中は1年忠勤に励み、三沢家の信頼を得ると尼子への復讐の為に力を貸してくれるように願って、精鋭500人を貸して貰いました。

ある月のない夜、月山富田城に密かに近づくと、山中は城内の協力者と連絡を取ると1人部隊を離れ、そのまま帰ってきませんでした。

全て経久の仕掛けた罠です。
山中が切った同僚は罪人で、母と妻の拷問も無論演技、そして三沢氏の精鋭500人は既に月山富田城の兵に囲まれていました。

尼子軍は八方から攻めて三沢氏の精鋭を殲滅すると、そのままの勢いで三沢氏の本拠を攻め、これを屈服させたそうです。

質問した人からのコメント

2012/2/12 14:15:19

謀聖の名に相応しい逸話ですなぁ(^^)

ありがとうございました

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