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「トンイ」や「イ・サン」で「清からの世子承認」があります。

kichio00041391さん

2012/5/421:39:57

「トンイ」や「イ・サン」で「清からの世子承認」があります。

なぜ、朝鮮の世継ぎの問題なのに、清が関わってくるのでしょうか。朝鮮は朝鮮で、世継ぎを決められるのではないのですか?
詳しい方、教えて下さい。

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ineedyou55さん

2012/5/423:00:22

宗主国(中国)と冊封国(さくほうこく)との関係です。
つまり、中国は巨大な国土と軍事力、経済力、学問思想の先進国で、周りの小国を属国にしていたわけです。
また、皇帝、「天子」とは「天命を受けて自国一国のみならず近隣の諸国諸民族を支配・教化する使命を帯びた君主」のこと。と、
中国の歴代王朝の君主たちや、モンゴル帝国、ダイチン国(清朝)の君主たちが自任していたわけです。
朝鮮では紀元前3世紀頃、前漢初期に衛氏朝鮮が冊封されて以来、1895年に日清戦争で日本が清を破り、下関条約によって朝鮮を独立国と認めさせるまで、ほぼ一貫して約5、000年間中国の冊封国でした。
周りの多くの小国は、王様が無くなり、次の王様が決まれば使者を送って報告をすれば良かったのですが、
朝鮮だけは「事前承認」を得る形を取っており、「中国の許し」を重視していたといわれます。
なぜ朝鮮だけ?とお思いでしょうが、これを説明しますと長くなりますが、一口で言えば、朝鮮で高句麗、新羅、百済などの国々が結構中国(漢→隋・・三国・・・唐・・・明・・・清)にかなり武力で逆らって勝ったり負けたり、秀吉の朝鮮出兵では助けを求めたりと、頭が上がらなくなってしまったのですね。
明が滅んで清が出始めた時も、内部で政党争いをしていて、外交を見極める事が出来ず、滅んでいく明に肩入れをして、明と敵対する清王朝の怒りを買う等で、中国(清)の許可を受けなければ何もできなくなりました。
中国には皇帝が居るので、朝鮮では皇帝を名乗る事が出来ず、朝鮮王を名乗っていたので、ドラマにも出て来るのは王様です。
王様のお世継ぎ候補は世子で、お妃も宗主国の承認(冊封)が必要でした。
勿論許可を得るために、毎年、黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭美女を3,000人など20項目余りの物品を献上したが記録が残っています。
美女と言うのは独身の14歳~17歳の娘で、これを逃れるために朝鮮では結婚年齢が早まったと言われております。
こんなところで回答になっておりますでしょうか?

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climatemusicさん

編集あり2012/5/611:39:36

簡単に言うと、朝鮮王朝は王が支配していましたが、それは隣国の明、清が皇帝のおさめる帝国だったのでへりくだって王朝という形をとり、敵対する気はない、服従するという姿勢をとることで自国の安全・平和を保っていました。
このため、朝鮮王朝の王は清の使節団いわば今でいう外交官位の相手へも頭を下げたり気を使うような関係でした。(イ・サンのはじめの方でソンヨンが清の使節団に気に入られた時に世孫が止めて場に緊張が走ったのはこのためです。ファワン親子が清に亡命しようとしたのも、朝鮮王より清の権力が強いからです。)
なので、李朝の衰退後に大韓帝国が皇帝の採用をするまでは中国の皇帝下におかれてる朝鮮みたいな位置付けで、ことあるごとに清へ気を使って人事や政治を行ったり綺麗な女性を毎年献上したりしてました。(このため、美人が少なくて整形する文化があるとか)
これは日本とも関係があり、半島にとっての皇帝は清だったので、徳川幕府=将軍とは仲良くできたが大政奉還されて天皇が政治の中心になった際に朝鮮の王が天皇の下というのは受け入れられないという態度を示して後の日韓関係が変わることになりました。

2012/5/422:23:28

李氏朝鮮は外交上、中国の王朝(明→清)の冊封国です。自治は認められてますが、国王、王妃、王世子なんぞは自国で決めても、最終的に清皇帝の承認(任命書)が必要だったようです
(これがないと国内での立場も危ういらしい)

ちと違いますが、江戸時代の幕藩体制で、跡目相続をした新しい藩主は幕府に届け出をして将軍の認可をもらいますね。
あんな感じではないかと思います。

2012/5/422:16:45

当時、朝鮮は中国を宗主国とする傘下の冊封国だったからです。
中国の皇帝によって王として認められました。
なので王統を継ぐ世子も、形式的であっても中国の皇帝の承認が必要だったのです。

宗主国の傘下に入れば、中国との不要な争いも避けられ、いざ諸国から攻めてこられたら、
中国に援軍を頼む事もでき、
傘下国同士、または中国との貿易で経済を潤す事もできました。

今の沖縄が琉球と呼ばれた頃も、中国を宗主国とする傘下に入って、琉球王という承認を受けていました。

王が代替わりしたりすると、中国から皇帝の代理の使者がやってくるので、
それらを持てなし、盛大な儀式が行われました。

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