ここから本文です

押尾川の乱について教えてください

asa********さん

2012/7/2807:04:01

押尾川の乱について教えてください

補足天龍が勝ち越しているのに突如廃業してびっくりしましたが、そのような経緯があったのですね。

閲覧数:
8,238
回答数:
1
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

chi********さん

2012/7/2817:04:35

二所ノ関部屋所属の大関・大麒麟は、1974年11月場所限りで現役引退を表明し、押尾川親方として二所ノ関部屋付きの親方となりました。それから間もなく1975年3月28日に8代二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)が死去、二所ノ関部屋は師匠不在となりました。

当時二所ノ関部屋には押尾川親方(元大関・大麒麟)のほか、湊川親方(元幕内・十勝岩)、浜風親方(元幕内・宮柱)の2親方が在籍していました。このうち湊川親方は一時期湊川部屋を興した経歴があり、浜風親方は現役時代の実績が低いことから後継者に名乗りを上げず、押尾川親方が後継者になるものとみられていました。

しかしそこへ、既に独立していた大鵬親方(第48代横綱・大鵬)が名乗りをあげ(すぐに辞退)、更に8代夫人がまだ現役の小結・金剛を推したことから話がこじれ、すぐに解決するのは困難となったため、「師匠のいない部屋の力士は土俵に上がれない」という規定を回避するため、とりあえず湊川親方が1975年4月27日付で9代二所ノ関を襲名し、暫定師匠となりました。

その後金剛は1975年7月場所で初優勝し、9月場所では新関脇昇進するなど、充実期を迎えつつあり結局は押尾川親方に収まるかと思われたが、その9月場所直前に金剛は8代二所ノ関の婿養子となり、後継者に決定。これに押尾川親方は不満を持ち、東京都台東区にある瑞輪寺という寺院に新小結・青葉城(金剛より4日年上)を筆頭に16名の弟子とともに立てこもり作戦を開始、「押尾川部屋」の分家独立を要求しました。

8代夫人はその要求を一切呑みませんでしたが、結局花籠親方(元幕内・初代大ノ海)の調停で、16人中青葉城を含む6人を連れて分家独立する事が承認されましたが、独立の認められなかった力士の中には、不満から相撲を廃業し、プロレスに転向した幕内・天龍らがいました(青葉城以外の5名はいずれも幕下以下だったとのこと)。

これでとりあえず騒動は決着、1976年9月3日付で関脇・金剛は現役を引退して10代二所ノ関として二所ノ関部屋師匠に就任、暫定師匠であった9代二所ノ関は湊川に戻り、1979年2月12日に死去するまで二所ノ関部屋付きとして後進の指導に当たりました。押尾川親方はその後長く「押尾川部屋」を経営しましたが、2005年4月1日付で部屋を閉鎖し、二所ノ関部屋から少し離れている尾車部屋に所属力士を預ける形となりました。この押尾川部屋では、阿武松親方(元関脇・益荒雄)がまた乱を起こすことになりますが、これはまた別の話です。

質問した人からのコメント

2012/7/28 20:56:06

詳細なご回答感謝致します。不確かな部分はありましたがおかげさまで記憶が蘇ってきました。佐賀ノ花夫人に大麒麟は嫌われていたのですね。金剛の結婚もあまりにも不自然で唖然としたのを覚えています。弟子になれた青葉城は本望で良しとして、天龍の件は新しい人生が開けて不幸中の幸いでした。益荒雄の件は大麒麟一生の不覚ですかね。

「押尾川親方」の検索結果

検索結果をもっと見る

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる