人間は考える葦である、と聞いて。 少し聞いた話でしかないので、よくわかりませんが、 パスカルと言う人が、人間は考える葦である、と言ったとの事です。 NHKの番組で見たのを覚えていて、

人間は考える葦である、と聞いて。 少し聞いた話でしかないので、よくわかりませんが、 パスカルと言う人が、人間は考える葦である、と言ったとの事です。 NHKの番組で見たのを覚えていて、 僕が勝手に解釈したのは、(間違いかも知れませんが) 人間も宇宙の中から生み出された自然だ、 植物、動物、人間、地球、宇宙は自然だ。しかし、植物にも、動物にも、地球にも、宇宙にも「考える」事は出来ない。 考える事が出来るのは自然の中から生まれた人間だけだ。 それが自然では絶対の宇宙、その宇宙以上の優れた自然、それは人間の存在だ、と思いました。 認識力のある凄い言葉だなと思ったのですが、その勝手な解釈で、皆さんは自分を宇宙より優れていると思いますか? そう思っても、思わなくても、それは何故ですか? 雑談でも個人的な視点でもどう思いますか?

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ベストアンサー

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私も質問者と同様に理解してきました。 なお、“考える事が出来るのは自然の中から生まれた人間だけだ。それが自然では絶対の宇宙、その宇宙以上の優れた自然、それは人間の存在だ”という文章に、多少敷衍すれば。 私もこのように考えていましたが、これはどちらかというと、詩的、文学的構成なのだろうと自覚しています。 そして更に、人間は自分のことしかわからないだろうから、多分、もしかしたら、人間同様に或いは人間以上に思考したり認識できる意識存在もいるかもしれませんね。 なお古来、葦という植物をだして幾つかの文章があるので、ご参考に。 1. 日本の異称:豊 葦原 瑞穂の国 これは太平洋沿岸の稲の作育に適している、稲作湿地帯に共通ですね。 私の住む東京も、千葉の松戸あたりまで広大な河川敷の湿地帯として出来てきた地勢です。 将軍家のお狩場として、たくさんの歴史と挿話が伝承されています。 私は東京湾に近い一級河川の広大な河川敷の河童として、68年前の小1から3まで、5月から9までは河川敷を王国として野人です。 葦や蒲は湿地帯の植物ですが、葦は水面や地面から出ると多数になっているが、それらの根は数が少ない。 そして生命力の旺盛な植物であり、いろんなものに使えます。乾かすと燃料にもなる。 湿地帯は豊かな地域です。米は麺類やパン類などのために粉にしなくても食せる。 だから内陸の文化と沿岸の文化はここに異質性を分けられる。 2. 次郎物語や原点的社会教育運動の開拓者としての、下村湖人。 白鳥入蘆花。これは目立ちや飛び上がりではなく、謙虚にunassuming な言動と生き方を教えているのですが、白鳥は東洋では古来、魂ですね。 牧水の白鳥は哀しからずや空の青海のあをにもそまずただよふですね。 白い鳥が白い花、本来の自分性に溶け込んでいく。蘆花を本来の根源、もっとも普通で、基盤になっているもの。 これが臨済宗の偈ですと、白馬 入蘆花ですね。 白馬は人生を生きていく素直な(無垢なる)人間、その人生の体ですね。 3. 東南アジアの祭りでも、Kusha Grassを祭りなどに使います。 4. 聖書:Psalms詩編90:4-6 "For a thousand years in Thy sight are but as yesterday, when it is past, and as a watch in the night. "Thou carriest them away as with a flood; they are as a sleep: in the morning they are like grass which groweth up. "In the morning it flourisheth, and groweth up; in the evening it is cut down, and withereth." 以上ご参考に。なお(ksya)については、この回答を一旦終了してから、編集でその情報をお伝えします。 パソコン技術が未熟なものですので。 編集1:昔、あったページがどうもでないですね。 でも、http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=Kusha+Grass のがあります。 補追2:インドのMahabharataでも、婚外子を岸辺の葦の船に入れて、拾ってもらえるように流す神話が伝わっています。 Karṇaですね、老戦士夫婦に拾われ、すごい戦士になるのですね。 日本にも類似の話があったと存じますが、今、記憶がでてきません。 補追3:インドではまた、瞑想などの行をするときに、岸辺の葦を下に敷くと、地面からの磁気を遮断して効果的だとされています。 関連URL: http://okwave.jp/qa/q6134582.html http://okwave.jp/qa/q6546890.html http://okwave.jp/qa/q7443289.html http://okwave.jp/qa/q7443289.html これら以外にも幾つか、ご質問があったのですが、どうも削除されたり、開かなくなっていました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

考える=無限、葦=有限、これが合わせられてる事が、意味を深めますね。 パスカルが言いたい事、この言葉自体だけを捉える個人の発想は、分けなければいけません。 各回答の様に、聞いた人はそれぞれの捉え方があり、それがこの言葉の作用だと思います。 人間とは何か?の出発になる気がしました。 各回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/8/6 20:36

その他の回答(5件)

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葦のくせに生意気だ。 まず落としている以上、当然これは「人間賛歌」ではある。落として上げる。よくやる手です。 でも、じゃあ宇宙よりも上げているかと言えば、そりゃ無いでしょ。 その言葉の続きにはそうとも読めるように書いてはあるけど、でもスタートは葦なんだから。 「考える」ことが出来るという、たったその一点でのみ、「そこだけは勝っている」ということでしょう?

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ボクはパスカルの言葉を人間讃歌としては読まない。神の被造物としての人間の悲惨とわずかに残された希望の書として読んでる。 力のある被造物としての宇宙と自然。それに対してなすすべのない人間。猛威を振るう自然はジェスイットのメタファじゃないかな。ジャンセニストとしてのパスカルが人目を避けて暗いポールロワイヤルの一室で書き綴ったキリスト弁証論の草稿として、ボクはパスカルを読むんだ。ジェスイットへの抵抗の書としてね。 でも、どんな読み方も自由だと思うよ。書かれた言葉はもはやパスカルのもんじゃない。書かれた言葉から何を読みとるかは読み手の解釈の問題でしかないんだからね(^-^)

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葦というのはよく湿地に集まって生育していますよね。 風が吹けばすぐに靡き、時に雁が加えて持って行った りしますね。植物の中でも決して強うそうな生き物で なく、弱々しくさえ見えそうです。 人間のことをそんな葦だと言ったのです、パスカルは。 しかしです、それは葦ではあるけれども「考える」という 能力を持つ葦だと言ったのです。 人間は「考える」ことによって生き残る。考えることに よって文化文明を発展させるそういう素晴らしい能力 (才能)を持った存在だということで、彼はこの人間が 持つ「思考力」というものを殊の外尊んだ哲学者だった のではないでしょうか。 余りに有名な言葉ですね、これは。

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フランスの思想、哲学者のバスカルの言った「人間は考える葦である」は、人間は葦のように弱い生き物であるが考えることが出来る唯一の生き物であってこれが一番貴重であるといっています。主の考え方は間違っては居ませんが、人間の思考「理性」の捉え方を明確にしてください。

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まだまだ 未知の世界ですね 難しくてわかりませんが 自身の勉強になりますね NHKさんはどんどんこういう課題触れて視聴者に問いかけるべきですね☆