ここから本文です

大目付とは

but********さん

2012/11/1919:15:59

大目付とは

江戸幕府の職制の1つに「大目付」という役職があります

有名な大目付を見ると、日本史関係の読み物では

柳生宗矩は「大目付」になって手腕を発揮し、諸大名からは恐れられ、歴代の将軍からは信頼されていた
といった記述がありました

これだと「実力者」「権力者」のイメージです

桜吹雪で有名な遠山の金さんは史実では天保の改革を推進する水野忠邦と反りが合わず、政策に反対したりしたので
町奉行から権限の少ない「大目付」に左遷(一応の地位はあるので表向きは栄転)させられた
というのも読みました

こちらは「実権の無い形ばかりの役職」といったイメージです

さて。。。

Q:大目付の職務内容や影響力についてはどちらの記述が正しいのでしょうか?

閲覧数:
2,615
回答数:
3
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

kou********さん

2012/11/1920:29:07

すでにご回答のあるように、時代が違い、その職能も変わっていきました。

江戸初期の大目付は、諸大名の監視役であり、諸大名に不穏な動きや不祥事があればそれを報告するのが仕事でした。
なので、諸大名は大目付を大変恐れました。大目付に妙なことを言われればお家お取りつぶしになりかねなかったのです。

が、江戸中期以降、幕藩体制が磐石になって、諸大名が謀反を起こすような恐れもなくなっていくと、大目付は監視ではなく、単に諸大名のまとめ役くらいのポジションになっていきました。ようするに将軍の命令などを諸大名に伝えるだけの役目です。
遠山の金さんのころの大目付はこれで、将軍の命令を右から左へ動かすだけのヒマな仕事であったわけです。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

mug********さん

2012/11/1920:30:17

初期から家光の時代までには大名の改易・取り潰しが盛んに行われましたが、この頃は大目付の本来の大名の監察が主な役割だったのです。柳生宗矩のように大名がその職に就いたこともありましたが(1650年頃の中根正盛あたりまで)、慶安事件後改易政策が見直されたこともあり、徐々にその職権は形骸化していったようです。後に儀式・典礼などを司るようになり、道中奉行を兼帯するような時期もありましたが、旗本職の最高職ではあるけれどほとんど文官としての名誉職というべきものでしょう。

nnn********さん

2012/11/1919:51:24

二人はかなり時代が違います。

当初は実権のある職だったのが、しだいに形骸化して名誉職となっていった。ということでしょう。

あわせて知りたい

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる