ここから本文です

太平記に詳しい方教えてください。清水義高が鎌倉を出て入間川で討たれる箇所は、...

ふくだただしさん

2012/11/2317:22:04

太平記に詳しい方教えてください。清水義高が鎌倉を出て入間川で討たれる箇所は、太平記のどのあたりに記してありますか?書名・巻・項なども分かりましたらお願い致します。

閲覧数:
228
回答数:
1
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

odo********さん

2012/11/2412:12:46

太平記じゃないですよ。吾妻鏡ですね。抜粋しておきます。

(元暦元年4月21日)
廿一日 己丑
自去夜、殿中聊物怱。是〈志水冠者〉(=義高)、雖為〈武衛〉(=頼朝)御聟、亡父已蒙勅勘、被戮之間、為其子其意趣尤依難度、可被誅之由、内々思食立、被仰含此趣於眤近壮士等。女房等伺聞此事、密々告申〈姫公〉御方。
仍〈志水冠者〉、廻計略、今暁遁去給。此間仮女房之姿、〈姫君〉御方女房、囲之出。
而 〈海野小太郎幸氏〉、者、与〈志水〉同年也。日夜在座右、片時無立去。仍今相替之、入彼帳台、臥宿衣之下、出髻云云。日闌後、出于〈志水〉之常居所、不改 日来形勢、独打双六。〈志水〉、好双六之勝負、朝暮翫之〈幸氏〉、必為其合手。然間、至于殿中男女、只成于今令坐給思之処、及晩綺露顕銷。
〈武衛〉、太忿怒給、則被召禁〈幸氏〉、又分遣〈堀藤次親家〉已下軍兵於方々道路、被仰可討止之由。
〈姫公〉周章周章、銷魂給。

(元暦元年4月26日)
廿六日 甲午
〈堀藤次親家〉郎従、〈藤内光澄〉、帰参。於入間河原、誅〈志水冠者〉之由、申之。
此事雖為密儀、〈姫公〉、已令漏聞之給、愁歎之余、令断漿水給。可謂理運。
〈御台所〉(=北条政子)、又依察彼御心中、御哀傷、殊太。然間、殿中男女、多以含歎色云云

(元暦元年6月27日)
廿七日 甲申
〈堀藤次親家〉郎従、被梟首。是依〈御台所〉御憤也。
四月之比、為御使、討〈志水冠者〉之故也。
其事已後、〈姫公〉御哀傷之余、已沈病床給。追日憔悴。
諸人莫不驚騒。依〈志水〉誅戮事。
有此御病、偏起於彼男之不儀、縦雖奉仰、内々不啓子細於〈姫公〉御方哉之由、〈御台所〉、強憤申給之間、〈武衛〉、不能遁申迯、還以被処斬罪云云。

(建久5年7月29日)
廿九日 戊子
将軍家〈姫君〉、自夜御不例。是雖為恒事、今日殊危急。
〈志水殿〉有事之後、御悲歎之故、追日御憔悴不堪断金之志、殆沈為石之思給歟。
且貞女之操行、衆人所美諫也 。


その他、後に作られた話に「清水冠者物語」「しみづ物語」「しみづ吉高」「木曽義高物語」等があります。

質問した人からのコメント

2012/11/25 14:40:05

とても、丁寧なご回答をいただき、ありがとうございました。尊敬します。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる