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「善因善果」、「悪因悪果」は当然だと思います。 ただ「因果」は無限の時間と...

str********さん

2006/11/709:20:31

「善因善果」、「悪因悪果」は当然だと思います。

ただ「因果」は無限の時間と空間内において完結するものであり、個人に結果するとは言い切れません。(輪廻については様々な考え方があり、どうもハッキリしない面もありますので対象外とします)
これを個人に結果すると期待(少し言い方は悪いですが)すると、この世を支配する法則としての「創造主」としての「神」の想定が自然な流れであり、仏教的な思想としては違和感を感じてしまうのです。

極論すれば悪を行っても自分に結果しないと考える事も可能な危険を孕んだ思想ではありますが、人に内在する「仏性」を信じるなら、これで良いのかとも思います。(これで娑婆世界を押し切るのは無理だという事は勿論理解しています)

また特に痛ましい事故で亡くなる方のニュースを見るにつけ「この人のどのような罪が死に値するのだろう?」と疑問を感じます。

皆さんにおける「因果」に対する考えをお聞かせ下さい。

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ywa********さん

編集あり2006/11/718:19:04

仏教的に言えば「善因善果」「悪因悪果」は誤りです。
正確には「善因楽果」「悪因苦果」です。

仏教の因果論は、「因」(原因)、「縁」(条件)、「果」(結果)により成り立っています。
つまり、「因」が「縁」に触れることによって「果」が生じるというもので「因縁生起」といいます。
例えば、種を植え水をやると芽が出ます。
種が「因」で、水をやることが「縁」、芽が出ることが「果」です。
科学的思考との相違は、科学のように「因」と「果」のみを単純に考えるのではなく、仏教では「縁」を考えることで、世界は「縁」によって成り立ち、あらゆる物事が「縁」によって繋がっているとする点です。
これを「縁起の理法」といいます。

さて質問者様は、少し因果の範囲を広げすぎておられるように感じます。
(質問者様に限ったことではないのですが。)
つまり、悲惨な事故でお亡くなりになった方が、そのような死に値する悪業を積んだ人とは思えないとお考えなのでしょう。
しかし、そもそも「善因楽果」「悪因苦果」という考え方は、何も因果関係のないところには適用できないのです。
例えば、勉強をしたがゆえに成績が上がったというのは因果関係があるでしょう。
しかし、泥棒をした人が安らかに死ぬか苦しみながら死ぬか、あるいはボランティアに励んでいた人が安らかに死ぬか苦しみながら死ぬか、ということはそもそも因果関係にないのです。
ましてや、先祖の悪業が子孫に祟るということは全く関係のないことです。

また、「善因善果」「悪因悪果」は誤りという点ですが、これは道徳的にはそれでよいのかもしれませんが、仏教からすれば根拠のないことだと思います。
この場合の「因」は「業」(広義の「行為」のことで、「心に思うこと」「言葉で言うこと」「身体を動かすこと」の3つ)ですから、そこに善悪を求めることはある程度可能だと思いますが、「果」に善悪を求めることは難しいと思います。
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/183.html

質問した人からのコメント

2006/11/10 23:00:36

降参 全くもって仰る通りだと思います。ここではコメントし切れませんが、現実世界で因果(縁も含めて)を考えるとクラクラします。自業自得(これも誤用が多いですが)と因果は昧ませないという事だけは確かです。

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pro********さん

編集あり2006/11/916:50:25

はぁ、むずかしいですね。何度も読み返しちゃいました。
私もあなたと同じような考え方ですが、以前読んだ本に、因果は本人に戻り、本人に戻れなければ子や子孫に、それがいなければ友人や最も近い人間に戻ると書かれていました。ということは(これを正しいと仮定すると)本人が悪事を働かなくとも先祖や親友の因果がやってくることが起こりうるわけで、他人の因果を背負う事で陰徳を積んだり、貢献することもありえるのかもしれませんね(犠牲を推奨するものではありません)
また本人自身の因果でもかなりの時間経過がある場合、原因が突きとめにくいと思います。

muc********さん

2006/11/711:05:18

当然だ、と思っていることに疑問があるのは、なぜなんでしょうか?・・・・・・・・・・

私は、元々、始まりも終わりもないものが存在していたのだろう、と思っているんです
それが、なぜかあるとき、さまざまな様相になるような方策に打って出たんだ、と思うんです
これが、なぜかを理由とした”試行錯誤”の始まりで、”宇宙”の始まりだったんでしょう
なぜか銀河系が生成され、
なぜか太陽系が生成され、
なぜか地球が生成され、
なぜか生命が誕生し、
ここにも”試行錯誤”が持ち込まれた、と思っているんです

つまり、元々から、どうなるかは分からないんだ、と思うんです
だから、『われわれがどこから来て、どこへ行こうとしているのか』
『そこで何をしようとしているのか』
『そこで何になりたいのか』
それは、誰にも分からないことだと思うんです

だから、『分かったつもり』になるような表現で『分からない』ことを『分からないまま』か『分かったつもり』に
なりやすい、と思っているんです

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