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ペリーが日本に開国を迫ったときの両国の軍事力の差について教えて下さい

pom********さん

2012/12/2800:01:42

ペリーが日本に開国を迫ったときの両国の軍事力の差について教えて下さい

私がどこかで聞いた話だと
日本の大砲は飛距離が短くアメリカの鉄張りの黒舟には届かず
大砲といっても鉄の塊を打つだけで爆発はしない。

一方アメリカは、日本の大砲の射程外から江戸城に向けて撃つことができて
炸裂式の大砲で江戸城と江戸の町を火の海に出来る

と聞いた記憶がありますが
実際の両国の軍事力差はどの程度だったのでしょうか?

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p27********さん

2012/12/2800:52:58

少なくとも海戦は不可能でした。江戸幕府は徳川家康が1609年に出した大船建造の禁令を遵守していましたから、西洋船や蒸気船などありません。それどころか戦国時代の水軍力さえありませんでした。ですから海上の敵に対して成す術がありません。

大砲もそうですが、当時まだ火縄銃、しかも戦闘経験は皆無、まあ一揆鎮圧や大塩のような小規模な乱を鎮圧した程度の経験しかない弱体化した兵隊。経済基盤の弱体化で幕府財政は破綻寸前で軍費なし はっきりいって経済力、人材、軍事力の全てで日本は負けていたと思います。

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ama********さん

2012/12/2811:19:39

幕府は諸大名の武装を制限してましたからね。だから幕府も大砲はあまりもっていませんでした。関東中の大砲をかき集めてもペリー艦隊の砲数に及ばなかったのです。射程距離や命中精度も考えれば論外でしょう。その辺の知識と戦端を開いた場合のシミュレーションをきちんと描ける有能な人材が多数揃っていた幕府が戦いを避けたのは当然でしょう。
生麦事件のために薩英戦争を戦わざるを得なかった薩摩は是非もなかったかもしれませんが、それでも開明君主であった斉彬が装備の近代化を図っていたこともあって英艦隊にもそれなりの損害を与えています。但し、城下は相当な被害を受けてしまいました。
しかし情報も知識も少ない田舎侍だらけだった長州は下関戦争で無様な敗戦を喫していますね。
ペリー艦隊と戦えば、江戸城を含む沿岸部が破壊され、ほとんど何の反撃もできずにサンドバック状態になっていたでしょう。

bel********さん

2012/12/2801:31:32

先の方の回答に加えて、機動力や情報力でも雲泥の差がありました。

ペリーが乗って来た船は、機帆船で、風と蒸気の両方で航海可能でした。

そして、海軍の行動に重要な影響を与える気象について、既に、ハワイのマウナロアに海軍の気象観測所を設置し、気象データを蓄積し解析していました。そのとき、大気中のCO2濃度も測定を行っており、100年以上たって地球温暖化問題で、海軍の競う観測所が江戸時代から100年以上も蓄積されたデータが注目されたのでした。

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