戦国時代の大河ドラマなどで、「城を攻め落としたら勝ち」となるのはなぜですか

戦国時代の大河ドラマなどで、「城を攻め落としたら勝ち」となるのはなぜですか 今、風林火山というドラマを見ています。 まあまあ面白いのですけど、表題の件が納得いきません。 家老などが「殿様!あの山城を落としたら信濃国占領は目の前ですぞ!」とか言います。 そして、殿は進言をうけて実際にその城に突入させて、敵国を頂いてしまうわけです。 また、占領後は 「おい皆の者、この山城は〇〇国を守る要所である。だから〇〇を城主にいたす!」 「ハハー<(_ _)> 全力で国を守りまする!私がいる限り国は落とさせませんよ!」というような会話もあります。 しかしこのプロセスがよくわかりません。わからないので、はっきり言って興ざめです。 そもそも山城って、どっかの山のてっぺんとか、崖の上とか、現代風にいうと立地が超超超超悪くて、街から簡単に歩いていけないようなところにあるわけです。 こんな場所に引きこもって「守ってます!」 こんな場所を占領して「国をいただいた!」 って言われても・・・。 僻地に引きこもってる相手なんてほっておいて、大きな町や村を直接占領したらいいだけだと思うんですが。 占領後に敵が「あんた、城を落としてないからこの国はまだ俺らの物だよ!勝手なことしたら許さんぞ」とか言ってきても、 占領した街で好きなように税金を取ったり徴兵したりすればすむだけですよね。 逆もしかりで、国を守りたいなら山の頂上を守るのではなく、町に柵や壁を作って領民を守ってあげないとダメだと思います。 なんで時代劇では城があんなに重視されているのか、ご存じの方教えてもらえませんか。 よろしくお願いいたします<(_ _)>

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追加 おっしゃている「迂回」間接的アプローチも、一つの方法です。 しかし、勝利条件を何と設定するかにもよりますが。 「敵野戦軍」の殲滅というのも大切です。 でないと、「背後を襲われる」可能性が大きすぎるリスキーな戦略だとおもいます。 実際に勝ち負けがはっきりしない戦いが大半だからです。 当事者にも、どっちかわからない場合が結構多いのです。 ですので「落城」とか。 秀吉の高松城攻めのときのように、「城主を衆人環視の中で切腹させる」とかしないと、勝敗がはっきりせず停戦できず、いつまでも小戦闘がダラダラ続いたりする場合が多いのです。

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疑問はおっしゃる通りです 山城といっても、標高差が300メートル未満の 町に近い山であって、それ以上の高い山とか 辺境などは不便なだけで、城として機能しないので存在しません また、質問者さんの言っている通りに世の中変化していきます 戦国初期は、稲葉山(岐阜)城など、山城が活躍しますが 戦国時代も後半になり、大規模な軍隊を動員するようになると 安土城や大阪城など、だんだんと平城に移行していきます 山の上に城があると、いろいろと不便で仕方がないからですね でっかい城作って、大軍を詰め込める経済力があるのなら 平地のど真ん中に、これでもかと どーーーーんと巨大な城をつくればいいのです (それをやったのが秀吉の大阪城) 戦国初期には、それが出来なかったのですよ 兵も少ないし、小競り合いをしているしか方法がなかったんです 平地のど真ん中、少ない兵で小さい平城では 守りにくいので、簡単に敵に落とされてしまいます だから、近くの山の上に上がって「やーーい、ここまでおいでーー」 とやってたわけです すぐ近くの山に兵がいるわけですから、町を占領された所で スキをみて、山を降りて奇襲すればいいのです 相手に守る大兵力があれば、ビクともしませんが 少ない兵なら、十分に撃退できます 要するに、兵力・経済力の問題です

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あの、簡単に人が近づけないような僻地に城を作るような馬鹿はいませんよ? 国を支配する意味は、確かに農業生産地や商業拠点を押さえそこから富を得ることです。そして、城などの軍事拠点は、それらの要地を押さえる為に築かれます。 山城でもこの基本は同じです。要地を押さえる事が出来る範囲内に、守りやすい山あった場合に、その山に築かれたのが「山城」です。周りに何もないただの山に城など誰も築きません。 ですから、山城だろうとそれを落とせばそれなりの価値がある要地を手に入れる事が出来ます。 よって山城でも落とすことには大いに意味があります。 逆に落としても意味がないような山城は誰も落としに行きませんし、そもそもそんなところにわざわざ城を作る馬鹿はいません。 山城=人も通わないような僻地というイメージを持ってしまった為に、そのような感想になるのだと思いますが、そのイメージは誤りだという事です。

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・ただの僻地じゃなく町や村を守りやすいとこにある。 昔の日本では大軍を自由に行き来させられる道路はそんなに無い。 僻地の城や砦はその道路を抑えている。 ・飛行機が無い時代は敵を見渡せる所に陣取ることが大きく戦況を左右する。 ・仮に海路や湖を迂回して敵地の深部に入り込んだとして。 →兵農分離してない場合は早く帰らないと自分の領地の農業がアウト。 →兵農分離しても敵の本営を潰さない限り城から出て来た部隊や、始めから城の外で遊撃戦をする部隊に攻撃を受け続け、占領政策は上手くいかない。 あるいは普段からどっちの味方かはっきりしない豪族(長男と次男を敵味方に出してるとか)だの軍閥(山賊まがいの浪人集団とか)だのが居ると、敢えて微妙に不利みたいな方に味方する可能性もある。 更に占領政策でもたつくと土豪(有力ジモティ)の反乱とか、自分の領地が別の国から攻撃される可能性がある。 敵をきっちり倒して勝ち負け確定し、更に占領地の城を拠点に主力は返せるようにしないとダメ。 ・別に戦略価値の無い城は守って無い。 場合によっては出て要所で夜営する。 ・逆に戦略価値の高い城や一つしか城がない小国の場合、農家を城に招き入れて敵が城を落とすまで何も得られなくもする。 ・はっきり言えば自分の領地全部、柵だの塀だので囲むってのが如何にバカなことか、少し考えれば判る。 要するに森林破壊→水源のダメージ→農地→場合によっては水産資源までダメージを受けるくらい材木と石材や土が必要。 城ですら凄まじい費用が必要で、農地の荒廃に繋がる森林破壊のリスクがある。 実は中国の万里の長城やヨーロッパの城塞都市は戦争に勝っても国を荒廃させる要因に成ってる。 なお、我々日本人は、わざわざ海の向こうから材木買いに来る国家の存在を知っていた。 そんなとこです。 要するに大軍のインターセプトに向いた所や領地にちょっかい出す相手を効果的に遊撃する司令塔として適した所にいて、万が一包囲されても敵が兵農分離してなきゃ領民にも城に入ってもらって農閑期だけ凌げば良い。

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まあ、まずは実際の城がどいった所にあるか見てみるとよいうでしょう。 たいていの城砦は、侵攻ルートとなる街道を見下ろすようなところにあるか、町を守るような位置関係にあります。 実際、軍勢を連れて行き、町に入ってそこを占領したと言い張っても、近くの城に敵兵が健在なら、自軍が移動したら即座に占領し返されてしまいます。 占領し続けるためには、そこに軍団を張り付けるか、その兵を繰り出してくる城を落とすしかありません。 近くに敵がいるのに町に駐留していたら、奇襲攻撃や夜襲を受けかねませんので、そうしたらやっぱり城がほしくなります。 ということで、安定的に領地を治めるには、敵の城を落とさなければなりません。 >僻地に引きこもってる相手なんてほっておいて、大きな町や村を直接占領したらいいだけだと思うんですが。 ちなみに、これをやっているのが信長です。 大兵力で攻め込み、敵を城に追い込んだうえで封鎖し、領地を攻略する。 織田の戦の基本はこれです。 ただしこれを行うには、敵兵力を一挙に封じ込めておく兵力と、その兵力を長期間維持するだけの兵站力が必要です。

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>>戦国時代の大河ドラマなどで、 >>「城を攻め落としたら勝ち」となるのはなぜですか 「武士」などの根城ですので そこを落とし自分の者にできれば その地方の「武士」に勝ったこととなります。 >>なんで時代劇では城があんなに重視されているのか、 >>ご存じの方教えてもらえませんか。 >>よろしくお願いいたします<(_ _)> 了解しました。やってみます。 「戦国時代」の頃には「本城」「支城」「砦」といった城の種類があり 「本城」は街や村々など領内の中枢に築かれ「支城」「砦」などは その領内を守り囲むように国境に築かれていました。 そのため「武士」は「街、村々」など領粋を制するためには それら「支城、砦」などを落とす必要があり また、その後に多くの武士が籠もり「本隊」が居るであろう 「本城」も落とすことに励みました。 「本城」を落としそこに居る「武士」を追い出すか、殺さねば また攻められたり地元の「地侍」などとつながり「一揆、反乱」の 火種にもなるためです。 そういった理由から「戦国武将」は「城(本城、支城、砦)」などの 取り合いに血眼となりました。 また実際「街中」や近くにある城もありましたが それは「街中」が戦場となるといったことですので 「民衆」からするとけっこう迷惑なことで逃げたり 「城」に籠もって応戦するなどの事象もありました。