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北方領土 竹島 尖閣と 領土問題が話題になる昨今。 日本人の私としては全て日本の...

tak********さん

2013/2/2821:37:41

北方領土 竹島 尖閣と 領土問題が話題になる昨今。 日本人の私としては全て日本の領土だと いいたいのは やまやまですが、
冷静に考えてみると
北方領土は
アイヌとロシアの島であり アイヌを侵略した明治政府が北方領土も日本だと言っているような?

竹島も 歴史的には韓国朝鮮の方が古いし

尖閣も 薩摩藩 明治政府に侵略された琉球王国のものでしょう。
琉球は もともと清国の属国ですから
やはり 尖閣も中国や台湾の島かなと?

戦前の大日本帝国が
一時侵略した時期があるにせよ
全て 日本領土というには
無理がある気がしますが如何でしょうか?


追伸
多くの批判を浴びそうな質問ですが

私は、
アイヌや琉球の自治権をもっと認めて
北方領土 はアイヌの土地
尖閣は 琉球の土地と
国際社会に訴えるべきかと考えます。

竹島は 歴史的にも
日本領土というには無理ですから。

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ベストアンサーに選ばれた回答

jir********さん

2013/2/2822:11:06

あなたのような素朴な考えも私はありであると考えますので決して間違ってはいません。補足させてもらいますがアイヌ民族は日本民族といわれる大和民族とは違うことはご理解されてますが、違っているところはアイヌ民族は太古の昔は本州に住んでいました。近畿地方にも生存していましたが農耕民族に土地を侵略されていき最終は北海道になってしまいました。沖縄は江戸時代までは一応琉球王国として存在していました。清国の属国とは行きません。宗主国が中華であっただけです。ちなみに歴代の中華帝国は大陸にのみ軍事、行政権は及びましたが海の向こうには及んでいませんでした。清朝の時代わが国は清朝に台湾は清朝の土地かと伺ったことがありますが、その際の返答は海の向こうはわが国の領土はないとの回答でしたので、ならば台湾はわが国がいただきますと礼節を持って清朝に接していた時代があります。ので中華帝国は沿岸の島に対しては統治はしていたし、主張もしていましたがその向こうには全く主張はしていないという事例がありますので琉球をわが国の固有の領土であるという主張は当てはまらないと考えます。沖縄返還のおり尖閣諸島も含めてわが国に帰ってきてますのでここはわが国の領土であると国際連合が示したから返還されたのです。ちなみに返還に際してはアメリカの意向もさることながら中国の恩恵によりわが国は分割もならずに済んだのです。いまさらアイヌ、琉球の方たちの自治を認めるとなとその方以外の民族も自治を認めなければならなくなりわが国はいくつかに分裂することになります。昔にくれべて民族意識も薄れた中で故意に強調するとなると民族差別などにつながる可能性が高いです。竹島は旧来漁民が航海の安全と大漁祈願のために島を崇めていた経緯があり長くわが国の漁民はこの島を崇拝してきましたがお隣さんはそのような経緯などはありません。追加ですが尖閣では戦後しばらくは魚の処理加工場として使われていましたし、一部定住もされていました。

質問した人からのコメント

2013/2/28 23:20:22

感謝 詳しい説明ありがとうございます。

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jjw********さん

2013/2/2822:13:57

アイヌに詳しいようですが、アイヌ民族はいません。部落単位の集落の一部の言い方です。
アイヌ民族は今で言う秋田県、岩手県あたりまではいました。
もっと南下しているのですが!!
領土問題と民族は区別すべきです。

で、竹島ですかね。
竹島は朝鮮が管轄し、監督し、領有した記録はありません。
日本には江戸時代から、漁によるよる鑑札を発行した記録があります。

>>戦前の大日本帝国が一時侵略した時期があるにせよ 全て 日本領土というには無理がある気がしますが如何でしょうか?

竹島の領土権益はもっと遡ります。
サンフランシスコ条約はカイロ宣言を踏襲するのですが、カイロ宣言では、第一次大戦以前の領土とするよしを決めています。
つまり、戦勝国が日本国を勝手に分割は出来ないという決まりです。

竹島において
1618年、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、同藩主を通じて幕府から竹島の渡海免許を受けました。これ以降、両家は交替で毎年年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等に従事しました。

幕府が鬱陵島や竹島を外国領であると認識していたのであれば、鎖国令を発して日本人の海外への渡航を禁止した1635年には、これらの島に対する渡海を禁じていたはずですが、そのような措置はなされませんでした。

こうして、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。

1692年、村川家が鬱陵島におもむくと、多数の朝鮮人が鬱陵島において漁採に従事しているのに遭遇しました。また、翌年には、今度は大谷家が同じく多数の朝鮮人と遭遇したことから、安龍福(アン・ヨンボク)、朴於屯(パク・オドゥン)の2名を日本に連れ帰ることとしました。なお、この頃の朝鮮王朝は、同国民の鬱陵島への渡航を禁じていました。

対馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であった。)は、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への渡海禁制を要求する交渉を開始しました。しかし、この交渉は、鬱陵島の帰属をめぐって意見が対立し合意を得るにいたりませんでした。

対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、「鬱陵島には我が国の人間が定住しているわけでもなく、同島までの距離から見ても朝鮮領であると判断される。無用の小島をめぐって隣国との好を失うのは得策ではない。鬱陵島を奪ったわけではないので、ただ渡海を禁じればよい」と朝鮮との友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡海を禁止することを決定し、これを朝鮮側に伝えるよう対馬藩に命じました。

今日の竹島において、あしかの捕獲が本格的に行われるようになったのは、1900年代初期のことでした。しかし、間もなくあしかは過当競争の状態となったことから、島根県隠岐島民の中井養三郎は、その事業の安定を図るため、1904年9月、内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島」(リアンクール島)の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出ました。

ahe********さん

2013/2/2822:03:38

過去質を見ましたが、まずは切符の買い方を勉強してからまた来て下さい(笑)
ネット上では中途半端な知識を晒すと大恥を書きますよ(笑)

なに、無知は恥じゃないですよ、無知を自覚せず、それを公の場で
偉そうに言う行動に比べたら大した恥じゃありません。明日、朝一で
図書館に行って本を読んできたらいかがですか?

多少の勘違いは誰にでもありますが、あなたの事実誤認は呆れるレベルです。
どこが間違ってるとかじゃなく、全てが事実誤認つまり間違ってます。
ま、生まれてこのかた風邪だかインフルエンザを引いた事がないとご自身で
おしゃっていましたので、どのような方かは分かりますがね・・・(苦笑)
○○は風邪引かないって昔から言いますし・・・。

bec********さん

2013/2/2821:57:47

それを言ったら
東北は蝦夷のモノ
朝鮮半島は中国のモノ
アメリカは…明らかに侵略ですからインディアンに返還しなければなりませんね。

歴史的に…を続けていくとキリがありません。
だから条約や国際法に則り解決を図っているのです。

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