伊坂幸太郎の砂漠
伊坂幸太郎の砂漠 今更ながら砂漠を読みました。 伊坂作品にしては仕掛けや伏線が少なく、サクッと読めてなかなか面白かったです。 仕掛けらしいものといえば 「4年間の出来事を1年間の出来事であるように書かれていること。」 これだけだと思います。 私が気になっているのは北村の「なんてことは、まるでない」です。 作中何度か出てきますが、北村がまるでないと思ったことは、結果的に外れてしまい、実際に起こってしまいます。 物語の最後、卒業後の5人についてそのうち連絡も取らなくなりバラバラになるだろうという予想のあとにまたこの「まるでない」が出てきます。 この「まるでない」も外れてしまうのかとちょっと切ない気持ちになったのですが、読み返してみると最後の「まるでない」だけ他と違っていました。 他は「なんてことは、まるでない。」なのに対し最後のは「なんてことはまるでない、はずだ。」となっています。 これはやはりバラバラになってしまうということなのか、「はずだ」と入れることでそうはならないということなのか、作者の意図はどちらだと思いますか? それともそんなに深い意図はなく「なんてことはまるでない」を素直に受け取ってもいいのか、皆さんどう思われますか? 伊坂さんは、グラスホッパーの回想電車がいつまでも通り過ぎない描写とか、最後の一文ににさらっと意味深なことを書くので気になりました。
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