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関ヶ原の戦いで、小早川が西軍に襲い掛からず東軍攻めてたらどうなってましたか?

shi********さん

2013/4/1320:20:30

関ヶ原の戦いで、小早川が西軍に襲い掛からず東軍攻めてたらどうなってましたか?

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don********さん

2013/4/1321:18:04

実は山の上に陣をはる場合、登山口に兵を配備しておかないと、逆に登山口を詰められて
降りるに降りられなくなってしまいます。
毛利や小早川は最初から登山口を放棄して山に引っ込んでいるので
もう最初から東軍を攻めない事をアピールしています。
さらに、脇坂らや東軍に裏切る4人組が、ここの詰めています。
つまり、小早川は最初から東軍がわに降りれないし
降りたとしても多くの犠牲を覚悟しなければなりません。
最終的に脇坂らを突破しても、その頃には東軍は小早川の攻撃に対応できますので
大勢は変わりませんし、既に西軍は敗走しているかもしれません。
つまり、東軍は最初から絶対勝つようになっていて、既に合戦開始時から勝負はついていたのです。

実は山の上に陣をはる場合、登山口に兵を配備しておかないと、逆に登山口を詰められて...

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nya********さん

2013/4/1416:33:28

裏切らない、裏切れないというのが現実だと思いますが、
それでも尚、強引に想定しても結果は変わらないです。

そもそも調略としての行動なので、
裏切りと呼べるかどうかも疑問です。

sla********さん

2013/4/1320:36:31

小早川秀秋は最初から、東軍よりの行動をとっています。伏見城攻めでは、鳥居元忠に協力を申し出たり、松尾山に最初に陣を敷いていた部隊を追い出す形で陣を敷いたりとかなり怪しい行動をしています。慶長の役で乱戦に飛び込み敵方の首を獲った行動を軽率な行動だと帰国した際に、秀吉に叱責され、転封されかけたところを、家康が助け舟を出し事なきを得ています。その行動を報告したのが石田三成だと思い、深く恨んだそうですし、家康には深く感謝したそうです。おそらく、推論ですが、火縄銃を撃ちかけられて裏切りを決断したという事は火縄銃の有効射程からしてあり得ない話であり、絶好のタイミングでの裏切りをするのを計っていたのだと思います。怪しい行動をしていたからこそ、大谷吉継は裏切りに備えをしていたのだと思います。もっとも、脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱の裏切りまでは予測がつかなかったようですが。

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