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日興跡条々事を偽書と仰る件について。

美華子愛♪さん

2013/4/1723:03:11

日興跡条々事を偽書と仰る件について。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210572371...
tukimiya0530さん
59世である日亨上人は『富士日興上人詳伝上巻P161』の中にて『日興跡条々事』偽書であると否定なさっておられるとの話を聞いておりますが、もしかして日蓮正宗では日亨上人を『日寛上人の仰せをも冒する大僻見』として排斥にでもされておられたりするのかな?日蓮正宗では日亨上人の編纂した御書を廃して、現在は日顕さんの編纂した御書を使っているとも聞いておりますが……。
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富士日興上人詳伝、聖教新聞社発行版にて当該ページを確認いたしました。
該書を確認しておきながら、このような欺瞞は実に許されざる不正直であると断じざる得ません。日興上人詳伝には次の通りあります。

[正文書]日興が跡条々の事
○、一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊弘安五年(五月廿九日)
御下文、日目に之を授与す。
大石寺所蔵の日興上人御正筆の目師への御譲り状のなかの一文である(富士宗学要集第八巻資料類聚①十八㌻)。ここでは、御下し文すなわち園城寺申状についての官辺の文書を宗大事として付属せられた史料として、これを引用するが、在来の目師への御譲り状の御文は、中世よりの誤読を、そのまま襲用しておる。すなわち、
[伝説史料]祖師伝日目伝 日辰(富士宗学要集第五巻宗史部①三一㌻)
一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊日目に之を相伝す、本門寺に懸け奉る可し。
[伝説史料]家中抄日目伝 日精(富士宗学要集第五巻宗史部①一八八㌻)
一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊日目に之れを授与す。
[伝説史料]大石寺明細誌 日量(富士宗学要集第五巻宗史部①三二七㌻)
一、日興が身に宛て給る所の弘安二年の大御本尊日目に之を授与す、本門寺に掛奉るべきなり。
この三伝ともに「弘安五年御下文」の文を欠いておる。(中略)
むろん、本書ではなく、写しであったろうで他の現文にも相違がある。」

このように、御真跡からの三伝に誤写があったことを述懐あそばされてはおりますが、偽書などとは日亨上人は一言たりとも仰せられていない。字数制限の都合全文引用できませんが、嘘はいけません。
どうしてそういう欺瞞をおっしゃったのか、真意を伺いたいところです。

日亨上人,tukimiya0530,富士日興上人詳伝,富士宗学要集,大御本尊日目,日興跡条々事,大石寺

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ベストアンサーに選ばれた回答

kan********さん

2013/4/1723:26:58

これは少々デリケートな問題だ。身延を離山された日興上人は、富士市依田原字大石寺に一宇を創建された。これが大石寺だ。現在の大石寺の地番は静岡県富士宮市上条2057番であり、全く別の場所だ。どういう理由で地番が異なるのか?度重なる火災で江戸初期に焼失した大石寺は、幕府に廃寺処理された。一宗が消滅した訳だ。では、今の大石寺は何なのか?これは阿波蜂須賀家正室敬台院が、自身が幼少より育てた養子17世日精の為に、幕府に掛け合って"新規創建"したのが静岡県富士宮市上条2057番の大石寺なのだ。そして、その富士宮大石寺が法水瀉瓶金口嫡々唯授一人血脈相承の論拠とするのが、『日興跡条々事』なのだが、一度廃寺した寺が、富士七百年の清流を主張し、証明する文献が現存する。この経緯から、『日興跡条々事』は、新大石寺創建後に捏造された家内文書と断ぜざるを得ないのだ。

質問した人からのコメント

2013/4/18 10:22:58

月宮さんへのリクエストでしたが、カンキチさんほかが仰る要山の件、大石寺移転・廃寺の所見については、考察の必要性を感じましたので、カンキチさんのご回答を優先します。この件については重要性を改めて感じたので調べていくようにいたします。

月宮さん、日興跡条々事の御書全集未収録・新編御書への収録については機会があればお答えします。

諸兄、回答感謝します。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

編集あり2013/4/1802:31:28

はてさて、ネット上での情報として聞いただけの話ですからねぇ。
『日興跡条々事』については真偽について色々な意見があるようで、ネットで検索したところ気になるものがちらほらと……。
例えばこういった内容などです。

・『日興跡条々事』(『興全』p.130『宗全』2-134)については、『興全』には写真版が掲載され、「本状には置状・譲状としては年号のないことや全体の筆使いから、日興上人筆には疑義が提出されている」(『興全』p.130)という注が付けられている。
・『宗全』の堀日亨の注に「おおよそ四字は後人故意にこれを欠損す。授与以下に他筆をもって「相伝之可奉懸本門寺」の九字を加う」(『宗全』2-134)とあることから、いろいろの文献的問題が生じていた。

こういった情報も目にいたしました。
もしもこれが本当であれば『誤写』ではなく別の内容を説明をされている事になってしまいますが……。

真意もなにも、わたしの所持している日亨上人の編纂なされた御書には日亨上人の御意志により『日興跡条々事』が記載されていないわけですから、当然わたしには文証になりえないものです。
日亨上人が確かだと思われたのなら記載なさったでしょうしねぇ……。

そういえば、これもネット上での噂ですが日顕さんの書かれた新編日蓮大聖人御書には『日興跡条々事』が載っているとの話がありますねぇ……。
日亨上人がはずされたものを載せるために、日亨上人の御書を廃したわけではないとは思いますが……。

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