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水戸光圀の生涯

nic********さん

2007/2/1321:20:49

水戸光圀の生涯

ずっと水戸に居たんでしょうか?本当の名前は?

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sin********さん

編集あり2007/2/1408:54:43

1628年に水戸に生まれ
1633年に父頼房に世子と認められて江戸に住まう
(それまで頼房から隠されていた)
藩主になる前に「大日本史」の編纂に着手
(光圀自身のライフワーク並びにその後の水戸家の家業)
1661年に藩主着任
藩主になってから殆ど江戸から動かず
わずかに隠居前に日光・江ノ島・銚子方面へ赴いたことが記録に残る
1690年に隠居
隠居後に水戸に帰り西山荘を設けてそこに入る
1701年没



本当の「姓名」なら
源 光圀(みなもと-ノ-みつくに)

「氏名」は
徳川 光圀(とくがわ みつくに)

幼名:千代松
通称:?
字 :子竜
号 :梅里(他に常山人・西山隠士。著作・私信等の文書への署名に用いるもの)
諡号:義公(死後に贈られるもの)
更に「高譲味道根之命(たかゆずるうましみちねのみこと)」の神号も授かる

藩主時代の最終官職は従三位参議
隠居後、権中納言(この職は没するまで辞していない)
死後、従二位大納言・従一位・正一位を贈られる
水戸家の極位極官は正三位権中納言
実際には従三位参議にとどまることもしばしば
(室町時代のころから「正」の大・中納言職に就く人はいない)
「黄門」は中納言の唐名(中国風名称)

以上のことから公文書などにかかれる際には
権中納言従三位源朝臣光圀(卿・公)

尚、水戸光圀・水戸黄門の読みは
それぞれ「みと-ノ-みつくに」「みと-ノ-こうもん」が本則

因みに、幕府の役職に「副将軍」なるものは存在しない
尾張家・紀伊家より一段格下であるし
(水戸家は直接的に将軍を出す家系ではない)
水戸徳川家が江戸常駐であることから
自他共に副将軍的な雰囲気を持ってしまったことは否定出来ない

質問した人からのコメント

2007/2/15 10:02:28

成功 大変勉強になりました。

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mmm********さん

2007/2/1322:28:32

余談ですが、水戸光國お手植えの桜が千葉県の匝瑳市(そうさし)(旧 八日市場市)大字飯高(いいだか)にあります。
春になるとそれは見事な花を咲かせます。

kus********さん

編集あり2007/2/1321:32:34

徳川光圀。
水戸藩主・水戸徳川家二代目であるが、
水戸徳川家は、参勤交代せず、江戸常駐を
幕府から命じられているため、藩主時代には
ほとんど水戸には、おらず、
幼少時と、隠居して西山荘に住んだ晩年
十年間しか、水戸には住んでいない。

 史書「大日本史」の編纂に藩費を投じ、
お抱えの歴史学者を、光圀の使者として、
全国行脚させ取材させたので、
それが御老公漫遊記伝説の
基となった。

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